日出づる国の降誕祭 ―昔日のクリスマス風景―


 日本最初のクリスマスは? 1549年に聖フランシスコ・ザビエルが鹿児島で捧げたことは想像に難くありませんが、惜しいことにその記録が未発見です。

それでは最古の記録というと、『イエズス会士日本通信』には、ザビエル離日・帰天後の1552年12月25日山口でのクリスマス・ミサや祝会に関する記事があります。そこには、ザビエルと共に来日した司祭トルレスの館で「我等はミサを歌い、よき声にはあらざりしがキリシタン等はこれを聞きて大いに喜びたり。同日は終夜キリスト一代記を語り、両パ ードレは六回ミサを行い、これを行う理由を説明せり」云々と記されています
                           
 1560年のクリスマスには、大分で初めて日本人信徒が聖書劇を演じました。ヨーロッパの中世以来のミステリヨ劇<→註>の範に倣い、教会堂に馬小屋を設えて装飾を凝らし、アダムとイヴの物語やキリスト降誕などが聖歌を交えて上演されました。近隣から集まった人々はその展開に一喜一憂し、例えばエデンの園を追われる場面では大人も子供も号泣したとか。そして年々祝祭は盛大化し、1568年大村の教会で開かれたクリスマス劇は、日本最初のキリシタン大名大村純忠の呼びかけもあって約2,000人が集まったといわれます。また、初めて耳にするヴィオラやパイプオルガンといった楽器の音色や少年聖歌隊の高らかな讃美などが加わり、当時の人々を魅了したようです。この時代、神の愛を「ご大切」と説いた宣教師やキリシタンの多方面の活躍は、クリスマスも多彩に演出しました。 
                               

 同じ頃、波濤を越えてヨーロッパでクリスマスを迎えた日本人もいます。例えば、ザビエルが鹿児島で洗礼を授けたベルナルド(日本名不明)は、1555年ローマで教皇パウロ4世に謁見を許された人で、初めてヨーロッパのクリスマスに接した日本人です。また、支倉常長ら慶長遣欧使節は、1615年にサン・ピエトロ寺院で教皇パウロ5世によるクリスマス・ミサに与りました。一方、1601年以降には日本人も司祭に叙階されましたが、特に聖地エルサレム経由で  1620年にローマ入りしたペトロ岐部カスイは、現地で司祭に叙階されて聖アンドレア修練院に滞在し、帰国後の1639年に殉教しました。彼は司祭としてどのようなクリスマス・ミサを捧げたことでしょう。                   
                 

 さて、徳川幕府の禁教下、かくれキリシタンのクリスマスは長い潜伏生活の中で偽装化と共に変容し、収穫祭などを兼ねてオラショの唱和や酒食による儀式が行われました(歌オラショはグレゴリア聖歌の痕跡を留めています)。しかし、禁教下の日本でクリスマスが全く途絶えたわけではありません。貿易を許されたオランダ商館員たちは、長崎出島で内密の礼拝を捧げ、ささやかなクリスマスを祝った模様です。そして異境の地にある彼らは、同じ市内の唐人屋敷で中国人が冬至を祝うことに着目し、クリスマスであることを伏せて「オランダ冬至」という祝祭を仕立て上げ、これに長崎の役人、通訳、貿易商人らを招き、華やかな西洋料理を振る舞う酒宴で接待しました。元々クリスマスの12月25日は冬至祭と深い関わりがあり、この接点が禁教下にまたとないチャンスをもたらしたことになります。         

                         
 時は下って鎖国が終焉を迎える頃、1853年に長崎へ来航したロシア使節プチャーチンらは、日本人通訳らを招いてクリスマス聖祭を捧げ、晩餐と音楽演奏で饗応しました。その際、これがクリスマスであると語って聞かせたといいます。そして禁教下でありながら、1866年には長崎大浦で浦上信徒がクリスマス・ミサを捧げました。さらに日本人が海外でクリスマスに触れる機会も再び生まれましたが、明治政府の禁教政策は長崎でキリシタン弾圧・配流事件を起こすなど、外交問題に発展しました。1873年になって、政府が禁教は既に熟知という理由で「禁教の高札」を撤去すると、徐々にキリスト教の取締りが緩和され、国内でも次第に教会が誕生し、やがてクリスマスも広まっていきます。カトリック神田教会が産声を上げたのは1874年のことで、まさにこの頃でした。                                 


         
今年は神田教会の創立131周年


   そして日本で456周年のクリスマスを、ともに喜び祝いましょう。


<註>「ミステリヨ劇」=邦訳は「神秘劇」。語源はラテン語のmysteria(秘儀の意)に由来。キリストの生誕、受難、復活や旧約聖書の物語などを劇化したもの。10世紀初め頃に復活祭典礼の交誦から発生したとの説があります。ドイツ南部のオーバーアマガウで10年ごとに開かれる受難劇は著名な例です。 
                              



                                主な典拠文献

                   クラウス・クラハトほか著『クリスマス−どうやって日本に定着したか』

                    太田淑子編『日本、キリスト教との邂逅−二つの時代に見る受容と葛藤』.                
 河野純徳著『聖フランシスコ・ザビエル全生涯』

                   村上直次郎訳『イエズス会士日本通信』

                   ロペス・ガイ著、井手勝美訳『キリシタン時代の典礼』

                   Pasquale M.D Elia S.J.著、本田善一郎訳「ローマを訪れた最初の日本人ベルナルド」(『キリシタン研究』第5輯)

                  五野井隆史著『支倉常長』/同著『ペトロ岐部カスイ』

                   庄司三男著「出島におけるキリスト教礼拝について」(『蘭学資料研究会研究報告』 第189号)

                 鈴江英一著『キリスト教解禁以前−切支丹禁制高札撤去の史料論』