アメリカでの同時多発テロ
犠牲者の皆様への哀悼



2001年9月11日(火)アメリカで起こった同時多発テロは全世界に大きな衝撃と哀しみと怒りを生み出しました。どのような理由があろうと、このような暴力が許されてはなりません。神田教会に集う私達は、犠牲となられた方々に心から深い哀悼の意を表するものです。またご遺族の方々の一日も早い心の平安の回復をお祈りいたします。このようなことが二度と起こらないように、また暴力に報いるに暴力を行うのではなく、平和的解決を図り、全世界から憎しみの消える日が一日でも早く来ますように、心からお祈りいたします。


岡田大司教様のメーッセージ 

 9月11日にアメリカで起こった同時多発テロの犠牲者となられた多くの方々、ご家族、関係者の皆様に対し、こころからの哀悼の意を表します。

 このような暴挙は決してあってはならないことです。このようなテロ行為は人間の尊厳への侵犯であり、人類全体への犯罪行為です。テロリストは、暴力は何も解決しないだけではなく事態を悪化させることを知るべきです。

 ところで暴力否定はすべての人に当てはめられなければなりません。 わたしたちは、被害者となったアメリカ合衆国と事故に巻き込まれた方々とともに、この出来事に深い悲しみを感じ、この卑劣で非人道的な行為に強い憤りを感じています。 しかし、この気持ちが憎しみ、復讐、報復となり、武力による戦闘行為へと発展するならば、それは暴力肯定以外のなにものでもなくなってしまいます。暴力を否定するものが暴力に訴えるという矛盾を犯すことになります。

 わたくしは、いまアメリカ社会と国際社会で高まっている報復への動きに強い懸念を覚えます。暴力に暴力をもって対抗するのでは何の解決にもなりません。 聖パウロは教えています。
 「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りにまかせなさい」(ローマ12・19)。
 「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」(ローマ12・21)。
紛争は、忍耐と信頼にもとづく対話、人類の尊厳にもとづく国際法の遵守、国際機関の活用などの平和的手段によって解決するべきです。そして、この際大切なのは、今回の惨事が引き起こされた経緯と原因を究明し、反省することではないかと思います。それは一方的に加害者側を非難するということではなく、なぜこのような事態が発生したのかをともに、冷静に見つめることです。それは、全人類が、世界の平和を脅かす共通の課題に今後、共同責任をもって取り組んでいくためです。

 「平和のために働く人は幸い」と主は言われます。 わたくしのお願いは、信者として、市民として、どのようにしたら「平和の使徒」となれるのか、考え話し合うなかでその使命を果たしていただきたいということです。時代の動きのなかで教会が聖霊の導きのもと、預言者の務めを忠実に担っていきたいと祈念しています。
 皆さんのお祈りとご理解を重ねて切にお願いします。

 主日のミサの共同祈願などで、たとえば次のような祈りをささげていただけましたら幸いです。

【例文】

 いつくしみ深い神よ、去る9月11日のテロの犠牲となった方々に永遠の安息をお与えください。また、この事件に巻き込まれて深い傷を負い、苦しみ悩むすべての人々をいやし、支え、強めてください。

 父なる神よ、御子イエス・キリストはご自身をささげ、十字架上で敵への愛を示されました。わたしたちもキリストにならい、敵への復讐心と憎しみに打ち勝ち、悪に対するに善をもって平和のために働くことができるよう、力と知恵をお与えください。

 すべての人の父である神よ、いまの国際社会には分裂と対立、紛争と憎悪が存在しています。聖霊をすべての人、とくに各国の政治指導者に送ってください。あなたの霊の働きを受けて、わたしたちが互いに人間として尊重しあえる世界を築き上げていくことができますように。

2001年9月20日         
東京大司教 ペトロ 岡田武夫


日本カトリック司教協議会・常任司教委員会
からの
メッセージ


米 同 時 多 発 テ ロ に 際 し て

平和を愛するみなさんへ

2001年10月4日

 去る9月11日にアメリカ合衆国で起きた同時多発テロで犠牲になったすべての方たちに深い哀悼の意を表します。数千にのぼる罪のない 人々が生命を奪われ、多くの人々が肉体と精神に深い傷を負いました。生命を失った人々、怪我をした人、そしてこの暴力的で卑劣な行為に よって、精神的な傷を負った多くの人々に私たちの祈りを捧げ、傷ついた方々が一日も早く快復されることを心から願っています。

 このようなテロ行為は人間の尊厳への侵犯であり、人類全体への犯罪行為です。いかなる動機によるものであろうと、自らの目的を遂行する ために他の人間の生命を犠牲にし、抹殺するという行為は、正当化されるべきではありません。これは明らかに人道への罪であり、国連など 国際社会が国際刑事法廷を設置して、テロリストやその共犯者を国際法に基づいて厳正かつ公正に訴追し、処罰するべきです。

 しかし、ブッシュ大統領は今回の暴挙に対して、「自由と民主主義」に対する攻撃であり戦争行為であるとみなし、断固とした武力報復を実 行すると宣言しました。 テロの犠牲者を悼み、その死に報いる途は、軍事的報復行動によって犠牲者の上に更に犠牲者を重ねることではないはずです。武力による 報復は、問題の解決をもたらすどころか、世界を暴力と憎しみの果てしない応酬の連鎖に引き込むだけです。しかも、その繰り返しの中で、テ ロ行為とは関係のない多数の一般市民の生命が、奪われることは不可避です。また多くの難民を作り出すことも明らかです。

 紛争は、忍耐と信頼にもとづく対話、人間の尊厳にもとづく国際法の遵守、国際機関の活用などの平和的手段によって解決されるべきです。 さらに今回の惨事が引き起こされた経緯と原因を究明し、反省することが大切です。それは、なぜこのような事態が発生したのかをともに冷静 に見つめることであり、全人類が世界の平和を脅かす共通の課題に、共同責任をもって取り組んでいくためです。
 これらのテロの根底には、南北問題(貧困、経済の不平等)、さまざまな差別、武力による外交などに由来する憎悪があります。これらの悪と 罪の連鎖という歴史の中に、私たちキリスト者も責任の一端があることを忘れてはいけません。

 日本が今こそなすべきことは、アメリカに武力行使を思いとどまらせ、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、問題解決の方策をさぐ ることではないでしょうか。日本は国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇、または武力の行使を国際紛争を解決す る手段として永久に放棄しました。また、中東にも比較的中立な立場にある日本は、外交手段を通して、テロリズムを無くしていこうとする国際 社会をつくり、戦争ではない問題の解決を図ることができると信じます。貧困や抑圧を生んでいる仕組みを正していく役割を積極的に果たして いくこと、それこそが、テロを根絶し、平和をもたらすことにつながる国際貢献です。

 私たちは、悲しみに打ちのめされたニューヨークをはじめ、アメリカの人々の間から、「復讐ではなく平和を!」という声が次第に湧き上がって いる知らせに励まされます。
 教皇ヨハネ・パウロ二世は、9月12日の一般謁見で、「憎しみと暴力の悪循環がはびこることのないよう主に願いましよう。慈しみの御母が、 すべての人の心を、知恵ある考えと平和への思いで満たしてくださいますように」と祈りました。
 世界の平和のために私たちに何ができるのでしょうか。国際社会として、日本として、教会として、個人として、といったそれぞれのレベルで できることを考えていきましょう。キリストは人々の憎しみと排斥の中にあって、「剣をさやに収めなさい」と弟子たちを戒め、和解とゆるしを願っ て十字架に上り、そのために自らの生命を差し出したのです。それは一見、無力な行為のように見えます。しかし、その十字架は予想し得な かった新しい生命を生んだのです。具体的に、今回のような難しい現実に立ち向かおうとする時、私たちはこのようなキリストの視点に立つこと が大切であると信じます。どんなに時間がかかっても、無駄に思えても、このキリストの生き方に従っていこうではありませんか。

 最後に、教皇ヨハネ・パウロ二世の来日の折、広島で祈られた祈りをともに捧げたいと思います。
 
 私は自然と人間、真理と美の創り主である神に祈ります。

 神よ、私の声をお聞きください。それは、個人の間、または国家の間でなされた、 すべての戦争と暴力の犠牲者の声だからです。

 神よ、私の声をお聞きください。それは、人々が武器と戦争に頼るとき、犠牲者となって苦しむすべての子供たちの声だからです。

 神よ、私の声をお聞きください。私は、主がすべての人間の心の中に、平和を創るための知恵と、正義の力と、仲間同士であることの喜びを注いで くださるよう願います。

 神よ、私の声をお聞きください。私は、すべての国、また歴史のすべての時代 において、戦争を望まず、常に喜んで平和の道を歩もうとしている無数の人々に かわって話しているからです。

 神よ、私の声をお聞きください。私たちがいつでも、憎しみには愛を、不正には 正義をもってあたり、貧困には自己の分かち合いを、戦争には平和をもって応える ことができるよう、英知と力をお与えください。

 神よ、私の声をお聞きください。そして、この世に「あなたの終わりなき平和」を お与えください。
     
(教皇ヨハネ・パウロ二世『平和アピール』参照、1981年・於広島)