
田中隆弘神父様のお話
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一月一日 神の母聖マリア(祭日)
神のみことばが人となられたのは、おとめマリアを母としてであった。(集会祈願参照)
ベトレヘムの幼な子のうちに人となられた神の子を礼拝するとき、私たちはマリアを神の母と認める。マリアが神の母であることは、降誕祭の典礼のいたる所に透かし彫りのように刻まれているが、それでもあちこちのキリスト信者は、とくに降誕節中の一日をささげて
「わたしたちの神である主イエズス・キリストの母」を崇めとうとぶことを好んだ。
ローマの教会がこのために降誕祭の八日目を選んだのは、西洋においてこの日が一年の初めの日となるよりずっと以前のことであった。イエズスの母をたたえると同時に、マリアがわたしたちの母、キリストと一体となっているすべての人の母、聖体拝領後の祈りがいうように教会の母でもあることを忘れないようにしよう。
しかし、マリアを崇めても、そのためにこの日の他の面が影になるようなことはない。降誕祭の八日目は幼子が割礼を受け、イエズスと名づけられた日であり、(福音)一月一日は新年を祝う日である。年月は過ぎ去るが、キリストは過ぎ去らない。それに今日は平和の日でもある。ばらばらのテーマ……いや、そうではない。どれもみな、わたしたちをキリストとその母のもとに連れて行くのだから。
『聖人略伝』 ピエール・ジュネル著 より
(ドン・ボスコ社)
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祈願
いのちの源である父よ、あなたはおとめマリアを御子の母として選び
救い主を人類に与えてくださいました。
聖母を通して御子キリストを迎えるわたしたちに、
救いの喜びを味わわせてください |
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祈願の終わりに結びとして、
わたしたちの主イエズス・キリストによって。アーメン。
ととなえます。 |
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「一期一会」を大切に
新年明けましておめでとうございます。正月を皆さんどのようにお過ごしでしょうか。
わたしは正月の恒例の温泉への一泊旅行をいつものメンバーの神父さん方とまずは行ってきました。今回は3日(木)・4日(金)と日程がよくなく、参加メンバーが少なく、9名でしたが、楽しい1日を共に過ごすことができました。
旅行先の旅館は恒例になりつつある四万温泉にあるのですが、この旅館の若おかみが関口教会の信者さんのおじょうさんだったので、いつもそこを利用させていただいています。参加メンバーの2人が元関口教会主任ということと、今回その若おかみが白百合出身(?)ということのようなので、わたしが最近世話役をつづけているので、これからも行くことになりそうです。
さて、わたしの誕生日・受洗日でもある4日の日の早朝、わたしにとっては初雪のなか一人露天風呂に入りながら「一年の計」を今回も少し静かに考えながら過ごすことができました。(言い訳〜外は寒いので、「少し」ということです。)
どんな「計」かはともかく、また、その時、今年はついに母親が体験できなかった年齢になったので、そういう意味で一日一日を大切にしなければ、とも想いました。つまり「一期一会」を大切に生きる一年にしたいと。
皆さんはどのような「一年の計」をたてましたか。共々にその決意を大切にしながら、その想い行動のうえに神さまの恵み、祝福がありますように聖母マリアのとりつぎを願いましょう。 |
 
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〈聖母マリアのとりつぎを願う)
わたしたち信仰者はよく「わたしのために祈って!」とか、「あなたのために祈る!」といいます。そして、カトリック信者はその祈りのとりつぎを、とくに聖人たちに託します。
また、その聖人たちのなかでナンバーワンが聖母マリアなのです。
聖母マリアに、そして諸聖人にイエス・キリストへのとりつぎを願う時に一つ大切なポイントがあります。それは「カナでの婚礼」(ヨハネ2・1−11)で聖母マリアが模範をしめしてくれているように
「イエス・キリストが行動することを信じる」と同時に「イエス・キリストが自由に行動することを許している」ということです。
そこでマリアは「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と答えた。(ルカ1・38)
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「カナでの婚礼」(ヨハネ2・1−11)
三日目に、がリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。 イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。 ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。 イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」 しかし母は召使たちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。 そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。 イエスが「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召使たちは、かめの縁まで水を満たした。 イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召使たちは運んで行った。 世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召使たちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」 イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
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