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四旬節第5主日 2006.4.2 父よ、御名の栄光を現してください (ヨハネ 12・28より) ![]() ヨハネによる福音(12.20-33) さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、 何人かのギリシア人がいた。 彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、 「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。 フィリポは行ってアンデレに話し、 アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。 イエスはこうお答えになった。 「人の子が栄光を受ける時が来た。 はっきり言っておく。 一粒(ひとつぶ)の麦は、地に落ちて死ななければ、 一粒のままである。 だが、死ねば、多くの実を結ぶ。 自分の命を愛する者は、それを失うが、 この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。 わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。 そうすれば、わたしのいるところに、 わたしに仕える者もいることになる。 わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。 今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。 『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。 しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。 父よ、御名(みな)の栄光を現してください。」 すると、天から声が聞こえた。 「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」 そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、 ほかの者たちは「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。 イエスは答えて言われた。 「この声が聞こえたのは、 わたしのためではなく、あなたがたのためだ。 今こそ、この世が裁かれる時。 今、この世の支配者が追放される。 わたしは地上から上げられるとき、 すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」 イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、 こう言われたのである。 |
受難の主日(枝の主日) 2006.4.9 わが神、わが神、 なぜわたしをお見捨てになったのですか (マルコ 15・34より) ![]() マルコによる福音(11.1-10) 一行がエルサレムに近づいて、 オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、 イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、 言われた。 「向こうの村へ行きなさい。 村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない 子ろばのつないであるのが見つかる。 それをほどいて、連れて来なさい。 もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、 『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」 二人は、出かけて行くと、 表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、 それをほどいた。 すると、そこに居合わせたある人々が、 「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。 二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。 二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、 その上に自分の服をかけると、 イエスはそれにお乗りになった。 多くの人が自分の服を道に敷き、 また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。 そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。 「ホサナ。 主の名によって来られる方に、 祝福があるように。 我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。 いと高きところにホサナ。」 マルコによる主イエス・キリストの受難 (マルコ15.1−39) 〈注〉 † はキリスト(司式司祭)、Cは語り手(第一朗読者)、 Sは群衆(数人、あるいは会衆一同)、Aは他の登場人物(第二朗読者)
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復活の主日 2006.4.16 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに…… (ヨハネ 20・1より) ![]() ヨハネによる福音(20.1-9) 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、 マグダラのマリアは墓に行った。 そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。 そこで、シモン・ペトロのところへ、 また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ 走って行って彼らに告げた。 「主が墓から取り去られました。 どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」 そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。 二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、 ペトロより速く走って、先に墓に着いた。 身をかがめて中をのぞくと、亜麻布(あまぬの)が置いてあった。 しかし、彼は中には入らなかった。 続いて、シモン・ペトロも着いた。 彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。 イエスの頭を包んでいた覆いは、 亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。 それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。 イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという 聖書の言葉を、 二人はまだ理解していなかったのである。 |
復活節第2主日 2006.4.23 (神のいつくしみの主日) 信じないものではなく、信じる者になりなさい (ヨハネ 20・27より) ![]() ヨハネによる福音(20.19-31) その日、すなわち週の初めの日の夕方、 弟子たちはユダヤ人を恐れて、 自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。 そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、 「あなたがたに平和があるように」と言われた。 そう言って、手とわき腹とをお見せになった。 弟子たちは、主を見て喜んだ。 イエスは重ねて言われた。 「あなたがたに平和があるように。 父がわたしをお遣わしになったように、 わたしもあなたがたを遣わす。」 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。 「聖霊を受けなさい。 だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。 だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、 イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。 そこで、ほかの弟子たちが、 「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。 「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、 また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、 わたしは決して信じない。」 さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。 戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、 「あなたがたに平和があるように」と言われた。 それから、トマスに言われた。 「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。 また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。 信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」 トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。 イエスはトマスに言われた。 「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 このほかにも、イエスは弟子たちの前で、 多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。 これらのことが書かれたのは、あなたがたが、 イエスは神の子メシアであると信じるためであり、 また、信じてイエスの名により命を受けるためである。 |
復活節第3主日 2006.4.30 あなたがたに平和があるように (ルカ 24・36より) ![]() ルカによる福音(24.35-48) 〔そのとき、エルサレムに戻った二人の弟子は、〕 道で起こったことや、 パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。 こういうことを話していると、 イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、 「あなたがたに平和があるように」と言われた。 彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。 そこで、イエスは言われた。 「なぜ、うろたえているのか。 どうして心に疑いを起こすのか。 わたしの手や足を見なさい。 まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。 亡霊には肉も骨もないが、 あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」 こう言って、イエスは手と足をお見せになった。 彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、 イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。 そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、 イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。 イエスは言われた。 「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、 必ずすべて実現する。 これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、 言われた。 「次のように書いてある。 『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、 その名によってあらゆる国の人々に宣(の)べ伝えられる』と。 エルサレムから始めて、 あなたがたはこれらのことの証人となる。」 |