聖フランシスコ・ザビエル生誕500年記念
イタリア巡礼の旅
聖フランシスコ・ザビエル生誕500年を記念して、2006年8月、稲川神父様を中心にして神田教会や他の教会の信徒の方々が、ザビエルゆかりのイタリアの地へ巡礼の旅に行かれました。ここに、ご参加の方々に神田教会教会報のために書いて頂いた巡礼の旅の印象の文章を掲載させて頂きました。
心は聖地に残して
I.K.

イタリアにおけるザビエルの足跡と教会巡礼の旅に参加して
マリア・クララ H.E.
今回の巡礼地イタリアは、カトリックの国であり、何所も心に残り、感動的でした。私がその中で特に感動した二ヶ所について書いてみることにしました。
私の霊名「クララ」の教会、アッシジのサンタ・キアラ教会を訪問することは長年の夢でした。そこはうすいピンクと白の縞模様の壁の美しい教会でした。念願が叶い感謝の気持ちでいっぱいでしたが、不勉強な私はアッシジは聖フランシスコ大聖堂とサンタ・キアラ教会のことしか知らなかったのです。その後訪れたサン・ダミアーノ教会こそフランシスコとクララの精神の宿る場所でした。サン・ダミアーノ教会に一歩入った時から、心の底から湧き上がる不思議な感覚に、清々しい気持ちになり本当に来たかったのはこの場所だと思えてなりませんでした。
フランシスコとクララが住まい、生活して祈りを捧げた所、 目を病んだフランシスコをクララが看病した部屋の小さな窓から二人が眺めたムングリア平原は、八百年近くの時を越えても同じ風景であったであろうと、時が止まったように感じられました。
そして巡礼最後の地ミラノでは、サンタ・マリア・デレ・グラッツェ教会のあまりにも有名な「最後の晩餐」を鑑賞しました。テレビ等で取り上げられているため、あまり期待していなかったのですが、その部屋に入った時、鳥肌の立つような何か大きな力に圧倒されて、しばらく立ちつくしてしまいました。
五百年余りの時を越えて、今尚神秘的な空間に涙が出てしまいました。
前回の巡礼で神が私に与えられた宿題は大きく重いのに、神様はさらに私に暗示を与えられました。この思いを心に留めて少しでもみ心に近づけるように祈りたいと思いました。
巡礼最後のミサの共同祈願の意向文から、
深めていただいた信仰の恵み、神の愛のみ心を感じた貴重な体験をこころに深く刻んで、これからもキリスト者として、素直な心と広い愛情をもち、感謝の心を大切にたゆまぬ努力をしていきたいと思います。いつもキリストに向い見つめる良い羊となって、力強く生きることができますように。
イタリア巡礼に参加して
O.I. & O.R.
神田教会の稲川神父様のご指導をいただきたくかねてより希望していましたが、このたび神父さまのご指導による巡礼に参加することができ、大変感謝、感激いたしております。
巡礼は初めての経験でしたが、想像していたよりはるかに大きな、そして豊かな霊的お恵みと、ご指導をいただくことができました。参加するまでは巡礼とはいえ半分ぐらいは観光的要素があるものと考えておりましたが、実はすべてが巡礼であったと悟りました。皆さんとの団体行動、食事、移動、ごミサ、語らい、祈りそれに神父さまのお話と、これらのすべてを通して霊的なお恵みやご指導を受けることができたと思っております。
ローマやその他の巡礼地では特に初期キリスト教のおかれた環境からの発展とその足跡を示す場所を目の当たりにすることができました。特にアッシジでは聖フランシスコの暖かさ、優しさに心打たれ、深い心の安らぎを覚えることができました。アドリア海に面したラベンナやベニスでは教会の歩んできた歴史を示す、モザイク画などを通してその背景を知ることができました。
巡礼で得ることのできた霊的豊かさ、知識、経験を通して信者として大きな勇気と、心の支えを、そして何よりより主に近づきたいという気持ちが強くなった自分を感じています。巡礼はもっと若いときに行けばよかったと感じています。
何か想像できないような大きなお恵みと勇気とをいただいたと思います。 稲川神父様には言葉に尽くせない多くのご指導と励ましと、勇気をいただきました。ご一緒させていただいた皆様にも改めて御礼申し上げます。
信仰の原点を思う
アンナ・マリア K.T.
聖フランシスコ・ザビエル生誕500年の記念巡礼は、ローマのジュズ教会(ザビエルの聖腕が安置されています)、聖フランシスコ・ザビエルの名前の由来のアシジ、日本にゆかりの深いロレートの聖なる家の教会、ザビエルが司祭に叙階されたヴェネチア等々、聖フランシスコ・ザビエルの辿った道を祈りの中で歩くことができました。巡礼に相応しく、かなり厳しいスケジュールの中で、各教会でのミサは心洗われるひと時でした。
特に、ロレートは聖フランシスコ・ザビエルが2回も訪れ、1540年に東洋に旅立つ前には8日以上もここに滞在したと伝えられているゆかりの地であると同時に、天正の少年使節も1585年にこの地を訪れ、聖母マリアの聖なる家で祈りを捧げているという、日本とは深いつながりを持った聖なる教会でした。今回初めてこの教会を訪れましたが、巡礼の中でも際立って感慨深いものでした。亡くなられた前教皇ヨハネ・パウロ二世は、この地を5回も訪れ、祈りを捧げておられます。
マリア様がお告げを受けられたお家の一部がこの教会の中にあるだけなのですが、何でこんなに多くの人々が巡礼に訪れるのでしょうかと驚きました。それは、きっと私たちの信仰の原点であるマリア様のお告げの「フィアット(おっしゃるようになりますように)」の心に触れることができるためかもしれないと思いました。年齢も国籍もまちまちのたくさんの人々が、熱心に、敬謙に祈りを捧げている姿には感動を覚えました。それは、素朴で、本来あるべき姿の信仰の原点がそこにあるからだと思いました。
とかく、信仰を自分の勝手気ままな解釈や意志のままに操りがちですが、キリストを信じ、キリストに従っていく道は、マリア様やイエズス様のように「私の思いではなく、み心のままに」という「フィアット」の心であることを、改めて確認することができました。
昔の巡礼に比べれば、飛行機、バス等々の乗り物が発達し、巡礼とも呼べないほどの楽な道なのだと思いますが、 それでも疲れや足腰の痛み、観光旅行とは違って好き勝手に行動できない等々の小さな犠牲を捧げることができ、
皆で助け合って無事に巡礼を終了することができたことは、神様からの大きな恵と思い、心から感謝しています。 聖フランシスコ・ザビエルがキリストへの信仰を述べ伝えるために、祖国を離れ、
宣教の地に死する覚悟で旅立った信仰の心を、少しでも今の自分の周りで実現して行かれるようにと願っていきたい と思っています。
イタリアの巡礼〜わたしの祈り〜
マリア・ロザリア T.A.
このたびの巡礼には、私にとってこの2年間のあいだに相次いでこの世から旅立っていった、母と父と弟の霊魂に神の平安をより求めたく、祈りを捧げるこ
とを目的に参加した。夫が同じおもいで参加を決心してくれたことは、とても大きな安心であった。このことを一番喜んで送り出してくれた私の姉に、心より
感謝のおもいがある。だいすきだった家族を失ってしまうと、毎日、否、毎時といってよいほど思い起こしながら過ごすもので、このことは祈りに通ずるのだ
と思う。祈りつつ、姉とわたしは、亡き家族の在りし日々の霊的な気もちを語り合うことでお互いを勇気づけているのかもしれない。
さて、巡礼の11日間はたいへん充実していて疲れを知らずに笑って過ごした日々だった。毎日ごミサに与かれ、ご聖体の秘跡の恵みを神に感謝したい。私は、イタリア各地に夫と行けるとはゆめのまた夢とおもっていたので、共通の話題が一層増えて今の生活にはこころ豊かな張りがある。同行した方々と楽しく
交われて、お腹のそこから楽しんだ日々だった。前日まで、忙しく過ごしていた私たち夫婦にとって、この旅は、大切な事が教示された。
第一に最大のことは、神が偉大なる創り主であることを、わたしに感じさせたことだ。神は創造主で、人間は被創造物ということ。つまり、この世のすべてのものは神により創られたものなのだ、ということだ。日本においても然りなのに、国外に出てやっとわかった。飛行機から目に飛び込んできたローマの景
色、、、田園にすくっと立った木のかたち、それを見ただけでわたしは神を意識した。石造りの町並みは古く、多くの教会の聖堂の途方もなく大きく立派な建
造物、絵画(フレスコ画、モザイク法、油彩、水彩)、彫刻、、、は、その昔から人々が神の栄光を讃え、万物を創造された神に倣って、造り上げたのだ。
首都ローマから北上し、各地まわってザヴィエル叙階の地ヴェネチア、帰路のマルペンサ(ミラノ)までの今回の巡礼。初日の早朝、バスでアッピア街道沿
いのカタコンベ見学。そこで初めて稲川神父さまから静かにお話があった。今の世界中に起きているさまざまの心の痛む争いごとに、私たちはひたすら祈るこ
とが大切、と。キリスト教がその昔、多くの迫害を受けた歴史が何回もあるが、その時々、当時の人々の祈りに支えられて乗り越えてきた事実があった、とい
うこと。私は、神を信仰するということを確信しているつもりだけれども、祈るのはどういう時かというと、自分の都合で何かしてほしいというときに祈って
きたかもしれない。こういう私を、神さまはいいんだよと言って下さるんではないかと、つい甘えそうになる自分がいる。祈りの本質に迫るならば、エゴな人
間の罪から解放していただけるように”主よ,憐れみ給え、キリスト、憐れみ給え。”ということなのに。
聖ピエトロ大聖堂では、聖ペトロを黙想した。イエズスの死後、奇跡を施し教えを説き初代教会の基礎を築いた聖人、ヘロデ王に捕われヘッドダウンの礫刑
後、初代教皇となられた聖ペトロ。四福音書にあるようにイエズスの預言どおり、鶏が鳴く前にあなたの事を知らないと3回否認し、否認を思い出して外に出
て激しく泣いた、人間臭い愛すべきペトロ。私は同時にJ.S.バッハのマタイ受難曲の、クライマックスの場面まで思い起こしていた。大聖堂で、12弟子
をこんなに真近に感じたのは,初めてだった。これまで夫と小さなオーケストラでキリスト教会音楽を演奏するとき、受難をテーマにした曲を何回か演奏した
ものだが、罪をあがなわれたイエズスをより一層、聖書によって今後もずっと味わいたいとおもう。ジェズー教会で、聖フランシスコ・ザヴィエルの聖腕を拝
観し黙想した。このことは信者にとっての貴重な経験だとおもう。期待していた、アッシジの聖フランシスコ大聖堂にては、人間が一生かけてすべきことは真
の平和を求めることであると知らされた。サンタキアラ教会での祈りは格別のおもいがあった。いま、プロテスタントとのエキュメニュカル運動より前進し、
他宗教との相互理解の必然性が叫ばれているのだから。ロレートから、ウルビーノへ。ウルビーノの聖フランチェスコ教会で、朗読の奉仕をさせていただい
た。使徒パウロのエフェソ人への手紙第5章からの抜粋で、「1節 ですから、神に倣うものとなりなさい。そして愛に基づいて生活しなさい。(略)16節
あたえられた時を活用しなさい。、、20節 主に向かって心から歌い、琴を奏でなさい。わたしたちの主イエズス・キリストの名において、いつも、父で
ある神にすべてのことに感謝し、キリストを畏れ敬う心をもって互いに従いなさい。」以上のみ言葉は、忘れ得ない。私はこのみ言葉を神さまからのプレゼン
トとおもっている。
巡礼では、私たちはまるで幼子のようだった。すべて、神さまが用意してくださった旅だったから。特に稲川神父さま、金子さまに霊的なご指導をいただき 感謝している。今後、キリスト教の歴史をもっと深く知り、み言葉をじんわりと味わい祈っていきたいとおもっている。

イタリア巡礼に参加して
パウロ T.T.
イタリアの作曲家レスピーギの作品、交響詩『ローマの松』の中に「カタコンベ付近の松」と「アッピア街道の松」という曲があります。この曲はローマ市内に多く見られる松の木を生き証人として歴史を描き出しており、まさに私たちの巡礼は古代ローマに整備されたアッピア街道に接する地下墓地カタコンベを訪れることによって始まりました。また、カタコンベへの入口近くにある聖ペテロがキリストと出会い、後に殉教した、その由来のクォヴァデス教会にも訪れることができました。私たちキリストを信仰する者にとって、初日から意義深い歴史的遺産に直に接することはこれから予定される巡礼地への期待を大きくし、心の準備を求めるものでした。
ヴァチカンの聖ペテロ大聖堂の拝観、聖フランシスコ・ザビエルの聖腕が安置されているジェズー教会ではミサに与り、あらためて歴史と信仰の重みを認識した次第です。各地で訪れた教会建築や聖堂内の絵画、彫刻等は圧倒的なスケールであり、永い年月を費やしそれぞれに携わった人々の深い信仰と神への祈り無くしては完成し得なかったものと想像されました。当然優れた作品として訴えるものは素晴らしいものばかりでした。
また、ヨーロッパ各地から家族連れでの巡礼者が多く、幼い子供に聖堂内で絵画等遺産の意味を説明し伝えている姿、行動は印象的でキリスト教国としての伝統を築いてきた大きな要素であると思いました。聖地での歴史的遺産に囲まれ、それを形だけ残すのではなくその意義を心の中に取り込んで行くことが大切なことでしょう。
アッシジの聖フランシスコをはじめ多くの聖人、歴代の教皇がその地で成した行動の記録に接し、それを知る多くの機会とお恵みをいただき、この巡礼に参加できたことに感謝する次第です。 また、パドヴァの聖アントニオ教会での「帰天された人々のために祈る1日」をテーマとするミサは、亡くなった私たち家族への追悼の意を込めて捧げることができ感慨深いものがありました。
稲川神父様による私たち信者として学ぶべき巡礼先での懇切な解説は、この旅行を一層価値の高いものにしていただいき、また、 先々でお世話していただいた金子様共々心より感謝申し上げます。
神田教会の皆様の仲間に入れて頂き、毎日が楽しく感動の連続の日々を過ごすことが出来ました。心より感謝致しております。稲川神父様、金子様をはじめ皆様が暖かく仲間に入れてくださり、私に心を留め声を掛けてくださった、楽しく充実した心の旅路でした。
数多くの思い出がありますが、アシジの大自然の美しさはすばらしいの一言でした。朝早くホテルから見た朝もやの美しい景色は、静寂の中に荘厳さすら感じたひとときでした。
アシジの聖フランシスコが、小鳥に説教されたというカルチェリーの自然の美しさも心に残っています。 散策中に稲川神父様の「ハーモニカ」の音色が一段とここちよく心に響きました。
カルチェリーの自然と「ハーモニカ」の音色が一体となり、その風景は昨日の事のように思い出されます。 すばらしい巡礼の旅を有難うございました。