白柳枢機卿様お説教





福音朗読ルカによる福音(ルカ 5:1〜11)

 イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。イエスはニそうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。
そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。
 そして、漁師たちがそのとおりにするとおびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟が沈みそうになった。これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。
 「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」。
 そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。




 福音朗読に続いて、白柳枢機卿様が一語一語を噛みしめるように説教をなさいました。「私ども4人は、50年前の12月21日、当時、鯨時司教座聖堂であった神田教会で土井大司教様、後の土井枢機卿様によって司祭に叙階されました。また司祭叙階25年の折も、当時の主任司祭佐藤神父様の温かいお心遣いによってこの教会で感謝のミサを捧げさせていただきました。従って神田教会は私どもにとって特別に身近に感じる教会であり、今日も特別な思いにかられている次第であります。

 司祭生活は全く神様の恵みであり、また、皆様がみていてくださる、祈っていてくださるという支えがあってはじめて可能なものであるとつくづく感じております。従って私どもにとって今日は神様と皆様への感謝の日でもあります。

 私たちカトリック者にとっては人それぞれの生き方のうえにも神様の摂理が働いているというのは私どもの確信です。

 私どものように神様と教会、ひいては信者の皆様に奉仕するために召される人もおります。人はそれぞれ召された召しにふさわしく生きることによって自分自身を完成するのです。しかし、弱い人間にとって完全な自己実現のためには、私たちのカだけでは充分ではなく、私たちをはるかに超える方、神様の力が必要なのです。

 カトリック者にとって、それは7つの秘蹟であり、祈り、犠牲、愛の行為などであります。

 洗礼の秘蹟はすべての恵みの基礎であり初めです。

 洗礼によってキリストとの交わりに連なり、また他のキリスト者とも結ばれ、互いにその恩恵を分かち合うことが出来るようになるのです。キリスト者はたとえ絶海の孤島に住まうとも、また砂漠のど真ん中に一人で生きようとも、決して孤独ではなく、多くの人と、とりわけ神との親しい交わりの中にいるという偉大な真理を悟らせてくれます。また洗礼を受けることによって多くの特別な恵みをうける他の秘蹟を受けることができるようになります。

 こんにち皆様がこのようにあるのも、私ども司祭が叙階50年を迎えるのも、洗礼の秘蹟によってキリストの体のなかで、それぞれ使命が与えられ、それぞれ恵みを受けた結果であり、自分のカによるものではありません。神様の恵みであり、キリストの体である教会の皆様に結ばれている結果なのです。従って今日皆様と共に、すべての恵みの母、基礎である洗礼の恵みを感謝したいのです。この恵みは全く神様の一方的な恵みです。

 ここに叙階50年を記念する私ども4人が幼児洗礼であったのは、それを良くあらわしています。

 皆さん、聖母マリアが歌った感謝の賛歌〔ルカ1章46−55〕を、自分に与えられた神様の恵みを思いながら唱えようではありませんか」と説かれました。






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