長崎・上五島の教会巡礼の旅



当教会所属の「マイケル」氏が、2003年8月1日(金)〜10日(日)休みを利用し上五島の29教会・長崎市内の3教会とその周辺を巡礼された記録です。

国宝の大浦天主堂をはじめとした「長崎の教会群」と周囲の景観は、その歴史的価値、建造物としての価値、文化的景観としての価値が極めて高いという理由でユネスコの世界遺産へ登録しようとの市民運動が盛り上がっています。

長崎県は歴史的にキリスト教文化の影響が強く、県内に131ものカトリック教会があり、明治から昭和初期までに建てられた教会だけでも56棟にのぼり、そのうち約40棟が世界遺産登録候補の対象になっているそうです。

250年にも及ぶ禁教の時代をくぐり抜け、ヨーロッパから来た神父様達のご指導と鉄川与助氏をはじめとした地元の棟梁達の努力によって次々に造られたこれらの教会が西洋と日本の文化の融合から生まれた建造物であり、カトリック信者のみならず、日本人並びに世界中の人々にとっても重要な人類の遺産であります。この写真集により、その素晴らしさ・重要性が少しでも伝われば有難いです。


長崎・上五島の教会巡礼の旅のスタート



2003年8月1日(金)仕事を終えてから長崎に飛びました。翌日には1時間半船に乗り、五島列島の中通島の鯛ノ浦港に着きました。これより上五島にある29のカトリック教会全踏破を目指します。果たしてその首尾は如何に?

→次のコマより巡礼の旅のスタートです。

私の印象を中心にコメントしていますが、各教会の情報に関する記載については、次のホームページなどを参考にしました。有難うございました。

@上五島の魅力(かとっぽ)http://www2s.biglobe.ne.jp/~katoppo/
  (有川のタクシー運転手高田氏の作った上五島の魅力の全てを満載したホームページ。この中の「教会巡り」をご覧下さい。)
A長崎の教会 http://www1.odn.ne.jp/tomas/gotou.htm
  (長崎の教会づくしのホームページ。「五島の教会」をクリックして下さい。)
Bおじいちゃんが建てた教会 http://www1.odn.ne.jp/tetsukawa/
  (長崎・五島の数多くの 教会を設計・施工した鉄川与助氏のお孫さんの作ったホームページ)

(以下のNo.は、29教会の訪問順です。)


【No.1】 頭ヶ島(かしらがしま)教会
先ず向かったのは、北東端の上五島空港の近くにある頭ヶ島(かしらがしま)教会です。我が国の教会建築に大きな功績を残した鉄川与助氏の設計・施工による日本で唯一の石造りの教会で、2001年9月17日、青砂ヶ浦教会(後述)とともに国指定重要文化財にも指定されました。丁度神田教会の有形文化財指定と同じ頃ですね。 大正8年落成。 見事な石組み、精巧なハンマービーム架橋天井、明るいステンドグラス、参道に続く花畑が印象的でした。






頭ヶ島教会 


【No.2】 丸尾教会
上五島最大の町有川を通り越して、西北の半島に向かう途上の住宅街の中に丸尾教会を見つけました。 明治32年創建、昭和3年現在のレンガ造りの教会が建てられました。 丸尾は、先ほど名前の出た鉄川与助氏の生まれた町です。彼の先祖も代々建築業を営んでいました。




丸尾教会


【No.3】冷水教会
次は、冷水(ひやみず)教会。  鉄川与助氏の最も初期の設計・施工によりますが、こっちは木造建築で、水色に塗られたかわいい教会です。奈摩湾の対岸に見える次の青砂ヶ浦教会とともに人気スポットの一つです。


冷水教会



奈摩湾を見下ろす冷水教会のマリア様


【No.4】青砂ヶ浦教会
次は、上五島で最も人気の高い教会の一つ、青砂ヶ浦(あおさがうら)教会。これ又鉄川与助氏の設計施工によるレンガ造りの教会で、2001年9月17日国指定重要文化財に指定ました。  土曜夜6時のミサが始まる1時間前に到着し、ゆっくり時を過ごしました。  丁度この旅に出る前夜、テレビのチャンネルをひねると、この教会を舞台にした寅さんの「男はつらいよ」を放映していました。寅さんがこの教会の熱心な信者のおばあさんの最期を看取った縁で、この教会での葬儀の席で、樋口可南子演じるその孫娘に出会い、その就職の世話をしてあげたり、彼女に片思いの純朴な青年との恋の仲立ちをする、というお話で、少しほろりとしました。





青砂ヶ浦教会


【No.5】青方教会
8月3日、日曜日、早く起きて、7時の青方(あおかた)教会のミサに出席しました。写真は聖堂入り口の聖家族像。 昭和30〜40年代の移転者の急増に対応して、昭和49年に創建され、2000年に新築されたばかりの、広く明るい教会でした。今では上五島のセンター的役割を務めています。  ここで気がついたこと:上五島の教会では通常女性が右の列に、男性が左の列に座る慣習があるようです。私は気がつかずに右の列に座ってしまいました。別にいけないというわけではないようですが・・・。




青方教会聖堂入り口の聖家族像


【No.6】大曽教会
一旦旅館に帰って朝食を取った後、宿の自転車で大曽(おおそ)教会に向かい、9時のミサに出席しました。今度は左の列に座りましたが、漁師のような素朴な感じの男性が多かったです。 ミサのはじまる30分前程から、長いお祈りが始まり、十戒まで皆で一気に唱和しました。 司式は、青方教会のミサでも司式された山村神父様(写真)でした。  この教会も鉄川与助氏の設計・施工によるレンガ造りの教会で、正面で手を広げるキリスト像が、万民を受け入れようとされているという印象を与えます。 数ある五島の教会の中でも、特に趣のある教会で、日曜9時のミサは是非ここであずかりたいという念願がかないました。



大曽教会と山村神父様


【No.6】大曽教会 その2
大曽教会の内部の天井です。天井の一点で梁(はり)が交わっており、年代が経ってもますます木のぬくもりを感じる見事な鉄川氏の労作ですね。  彼は生涯仏教徒を通しましたが、教会建築に当たっては、外人宣教師に指導を受けてその絶大な信用を得、自らも研鑽を積み、風土に合わせた独自の技術を開発しました。




大曽教会の内部の天井


【No.7】米山教会
青方から、中通島の北部に大きく突き出た新魚目町の半島を一気に北端の津和崎の手前までバスで北上し、そこから徒歩で北端を極め、取って返して、教会を一つ一つ見ながら、南下しました。 先ず正面中央の部分がアイスキャンディーの形を思わせるように白く高くそびえている印象的な聖堂を持つ米山(こめやま)教会。起源は慶応年間の由。 聖堂の後部に「最後の晩餐」におけるキリストと12使徒のレリーフを見つけました。



米山教会の聖堂後部「最後の晩餐」におけるキリストと12使徒のレリーフ


【No.7】米山教会 その2
米山教会の守護の聖人、聖アンデレの像。兄弟のペトロに比べると地味な存在ですが、「アンドレアは、すぐ父と網をそこにのこして、イエズスに従った。」と台座に書いてあります。




米山教会の守護の聖人、聖アンデレの像


【No.8】仲知教会
仲知(ちゅうち)教会も寛政年間に起源を発し、キリシタン弾圧が厳しかった所ですが、今の聖堂は近代的な広く明るい聖堂。特に陽光に燦燦と照らされたステンドグラスは美しく、しばし時を忘れるほどでした。




仲知教会


【No.9】赤波江教会
赤波江(あかばえ)教会は、赤い屋根のかわいい教会でした。 上五島の教会は、小さな教会も含め、いつでも扉は開けることが出来、子供たちの公教要理の本などが各自の定席に無造作に置いてあるのを見ると、生活の中に根付いている感じを受けます。



赤波江教会


【No.10】江袋教会
現存する木造教会では、長崎県で最も古い江袋教会も人気の教会の一つ。 写真のように、正面から見ると台形の屋根(「変形寄棟」というんだそうです。)裏の2階にかわいい洋式アーチ型のステンドグラスがはめ込まれ、天井は リブ・ブォールド(こうもり)天井で構成された凝った造りになっていました。



江袋教会


【No.11】小瀬良教会
車道からちょっと奥まった所にあったため見過ごしてしまいそうになった小瀬良教会。正面のヨゼフ像が印象的。上五島には教会名(地名)と同じ名字の信者が多い。小瀬良さん、赤波江さんや大曽さんなどが一例です。皆先祖代々カトリックの信仰の灯をともし続けて来られたのでしょう。やはり歴史が違う。




小瀬良教会


【No.12】大水教会
新魚目町の本道から少しはずれた山の中にあった大水教会ですが、ここからも両側の海が豊かに望めました。これからお祈りの時間だということで、近所の主婦の皆さんが、聖堂の入り口で待機しており、歓談しました。



大水教会


【No.13】曽根教会
曽根教会のスマートな尖塔が見え、長かった今日の旅程もやっと終わりを迎えました。今日の宿は曽根教会の隣組の国民宿舎「新魚目温泉荘」です。ああ疲れた! 温泉でゆっくりからだを癒した後、夕方早速覗いてみました。 写真のルルドの前の席に子供たちが陣取り、お祈りを捧げていました。  翌8月4日(月)早朝ミサに参加。 大人は少しシャイな感じでしたが、宿への帰り道、子供たちが「おはようございます!」と元気に声をかけてくれました。




曽根教会


【No.14】跡次教会
8月4日(月)曽根教会を後にした私は、上五島中通島の北に突き出た新魚目の半島から南に戻り、上五島で最も美しい若松瀬戸方面に向かいました。  最初に訪れたのは、国道のすぐ上にそびえ立つ白亜の跡次教会。明治12年設立。そのこじんまりした内部です。




跡次教会の聖堂内部


【No.15】猪ノ浦教会
跡次教会からタクシーで走ること30分以上にも感じられたでしょうか。 明治の中頃に人が移り住み、昭和22年聖堂が建設されるまで、信者は大曽教会まで参詣していたそうです。さぞ大変だったことでしょう。 マッチ箱のようにかわいい教会の内部は、たった今まで信者がいたように、各自の聖具などが無造作に置かれ、生活に根付いている印象を与えました。




猪ノ浦教会の聖堂内部

【No.16】焼崎教会
猪ノ浦教会から更に山道を巡り、焼崎教会に着きました。漁村に面した白亜に赤い屋根の立派な堂々とした教会でした。その内部です。 上五島の教会は大小を問わず、いつも祭壇の花を欠かさず、きれいに掃除され、よく手入れが行き届いていると感心します。


焼崎教会


【No.17】真手ノ浦教会 長い山道を経てやっと海岸線の国道に出、すぐに住宅地内の真手ノ浦教会を 訪れました。「天主堂」と書かれた赤い屋根のかわいい教会ですが、交通の便が良く、小教区となっています。



真手ノ浦教会


◆この日訪れた聖母像1
上五島の教会にほぼ例外なくあるもの、それはルルドないし聖母像です。 どれも表情は似ていますが、暖かく万民を包み込もうとする温顔に変わりなく、 心が癒されます。手を広げておられるものと手を合わせて祈られているものの 2種類があり、これは前者ですね。




◆この日訪れた聖母像2
ルルドを思わせる祠の中に手を合わせる聖母像。花がきれいですね。 確か猪ノ浦教会のものだったと思います。



この日訪れた聖母像3 焼崎教会の聖母像





焼崎教会の聖母像


◆この日訪れた聖母像4 台座の文字'fiat'とはインターネットで調べた処「かくあれ」という意味のラテン語で、'Fiat voluntas tua' (御旨のままに)のように使われます。聖母マリアが受胎告知を受け入れた時に言われたことばと言われているようです。



【No.18】中ノ浦教会
翌8月5日、若松瀬戸を南下。国道から小さな入り江を隔てて、堂々とした中ノ浦教会が見えます。



中ノ浦教会


聖堂内はきれいな花柄をあしらった装飾とふりそそぐ陽光に照り映え、落ち着いた祈りの雰囲気。 又是非再訪してみたい教会でした。



中ノ浦教会の聖堂内部


ルルド 自然の洞窟の感じが出ている見事なルルドで、おごそかな気持ちになりました。



中ノ浦教会のルルド


【No.19】大浦教会
昭和20年代民家を借り受けて聖堂にしたというこじんまりとした教会でした。



大浦教会


【No.20】大平教会
若松大橋を渡って若松島に入り、1時間船を待ち、島の北側にある大平教会に向かいました。 明治25年設立。 教会が人々の生活の中にすっかり溶け込んでいるようでした。



大平教会


【No.21】有福教会
大平教会からタクシーで一山超えて「月の浦」という港まで行き、船を待ち、有福島へ向かいました。 有福教会まで、港から歩いて20分位かかったでしょうか。丁度デジカメのバッテリーが切れ、この写真1枚しか取れませんでした。教会の裏手に回ると小さな赤いザリガニ(?)の一家が迎えてくれました。 有福島から橋で陸続きの若松島を一挙に縦断し、東南岸の神部で宿を取りました。



有福教会


【No.22】土井ノ浦教会
翌8月6日、朝一番に土井ノ浦教会の近くのキリシタン洞窟の見学を予約していましたが、はるか南海上の台風10号の影響で、波が荒く、直前になり船が出せないことになりました。残念! 土井ノ浦教会は大正4年旧大曽教会を買い受け、修復して利用してきましたが、老朽化のため、最近近代的な建物に建て替えられました。



土井ノ浦教会


【No.22】土井ノ浦教会 その2
外観は近代的な現聖堂ですが、聖堂の中は、この通り、見事なリブボールト式天井(コウモリ式天井)が残されていました。



土井ノ浦教会の聖堂内部


【No.23】桐教会
再び若松大橋を中通島側へ渡り、若松瀬戸の南端の丘の上にそびえ立つ桐教会を訪れ、山田主任神父様にお会いしました。今は近代的な見事な聖堂ですが、桐教会復活期の指導者、下村善七・ガスパル与作親子と清川沢次郎翁を顕彰する信仰先達者顕彰碑(昭和46年建立)に象徴されるように、明治30年創立以来100年以上もの間、幾多の信仰を育ててきた逞しさが感じられました。 一方、周辺には、いまだにかくれキリシタンの方がおられ、教会も気長に 融和に努めておられるそうです。



桐教会の信仰先達者顕彰碑 


【No.23】桐教会(No.23)その2
聖堂の内陣は広く明るく、正面の十字架は太く、印象的でした。



桐教会の聖堂内部


【No.23】桐教会 その3
青空に見事に映える白亜の壁に赤い屋根の桐教会を後にします。



桐教会


【No.24】高井旅教会
中通島南部の港町・奈良尾を過ぎた後、人気の高井旅海水浴場に隣接した高井旅教会を見つけました。昭和13年隠れキリシタンから一挙に100人が帰依し、昭和36年に聖堂を建立したとのことです。



高井旅教会


【No.25】福見教会
場所がわかりにくく、近所のカトリック系の老人福祉施設の若いシスター梅木に案内して頂きました。 旅行雑誌に載っていた左の写真と同じ位置から移した写真そのまんまの、威風堂々とした赤レンガの教会を見つけ、本当に来てよかったと思いました。 近くには、「お告げのマリア会」の修道院や他の施設も併設され、シスター達の奉仕によって、朝昼夕欠かすことなく、お告げの鐘が鳴り響く、100%カトリック教徒の住民が占める平和な里だということです。時間の関係でお告げの鐘が聞けなかったのが残念でした。

  

福見教会


【No.25】福見教会 その2
歴史をたどれば、実に1799年、長崎県外海地方から男女5人が移住したのが始まりとされており、明治15年(1882年)最初の教会が建立されるも、台風で崩壊、大正2年(1913年)現教会が完成したとのことです。 男性的な外観ですが、内部はステンドグラスから差し込む陽光も暖かく、居心地の良い聖堂でした。



福見教会


【No.26】浜串教会
何列も席がある広い聖堂。ここも江戸幕府の迫害の厳しかった外海地方からの1815年頃移住により開かれた所だそうです。その後捕鯨の売上金で明治32年 (1899年)初代の聖堂が建立された由。



浜串教会


【No.26】浜串教会 その2
縦横ひとかかえもありそうな大きな「十字架の道行き」の絵が印象的でした。



浜串教会


【No.26】浜串教会 その3
聖堂の隣の司祭館に鍋内主任神父様を訪ね、荷物を置かせて頂き、港の入り口にあるという航海を祈る「希望の聖母像」を見に行きました。すぐ近くだと思いましたが、意外と遠く、暑い日だったので、汗びっしょりになりました。 司祭館に荷物を取りに戻ったら、神父様が「リポビタンD」を1本おごって下さいました。(別途教会には献金させて頂きましたが・・・)とても気さくで親切な神父様でした。

  

浜串教会の「希望の聖母像」


【No.27】船隠教会
ここの信者は、明治初年外海地方から移住してきたとのこと。 kamigotoによくある白亜の壁と赤い屋根は、周辺の緑によく溶け込んでいました。 聖堂内部は結構広く感じられました。 祭壇左の天使は大天使ガブリエルでしょうか?



船隠教会


【No.27】船隠教会 その2
船隠教会の「ロザリオの聖母」像です。



船隠教会


【No.28】佐ノ原教会
この教会も白亜の壁と赤い屋根の印象的な造り。上五島では珍しく、周りを山に囲まれていました。



佐ノ原教会


【No.29】鯛ノ浦教会
8月2日に長崎から船で入港した鯛ノ浦に4日振りに戻って来ました。 上五島29教会の最後を締めくくるのは、その鯛ノ浦港の北の中野部落にある 鯛ノ浦教会です。 写真は旧聖堂。昭和21年(1946年)正面に、長崎浦上天主堂の被爆レンガを一部使用したレンガ造りの鐘楼を取り付けました。 リブホールド式天井を持つ旧聖堂は、現在資料館になっており、隣接して鉄筋の新聖堂が建てられています。 これで上五島29教会を踏破しました。台風10号が近づいているので、日程を1日早め、この日1日で8教会を訪ねましたので、少々くたびれました。



鯛ノ浦教会


上五島から長崎へ 翌8月7日、本来なら中通島の北に少し離れた小値賀島(おじかじま)にある小値賀教会を訪れれば「上五島完全踏破」となるのですが、残念ながら台風が近づいているので、朝一番の船で長崎に帰ることにしました。 小値賀島からは、更に船で旧野首天主堂(鉄川与助設計)のある野崎島に行く計画もあったのですが、残念でした。 1時間半の航海で9:30長崎港着。この後長崎の教会を回ります。


【1】大浦天主堂(長崎市)  
8月7日長崎市内の探訪が始まりました。 まず南部の大浦天主堂に向かう途中コルベ館に立ち寄り、聖母の騎士修道会創立者で、アウシュビッツでひとりの妻子持ちの男性の身代わりとして自らガス室送りを志願した聖コルベ神父様の資料やビデオを拝見し、その遺徳を偲びました。  その後、現在の大浦教会と、有名な大浦天主堂やグラバー園周辺を歩きました。大浦天主堂は、日本最古の木造教会堂で、昭和8年(1933)1月23日国宝に指定されました。青銅色の尖塔を持つ印象的な建物で、建物の前面に生えている椰子の木(?)が南洋の趣を感じさせます。  写真は、大浦天主堂正門への階段を上る手前左にある庭にあるプチジャン神父(のちに司教)の信徒発見を記念するレリーフと、背後にそびえる天主堂です。     



大浦天主堂(長崎市)


【1】大浦天主堂(長崎市)その2  
信徒発見のレリーフの左手奥には、キリストの十字架、右手にプチジャン司教像、左手にヨハネ・パウロ二世像が並んでいます。 まさにオールキャストですね。



大浦天主堂 右手にプチジャン司教像、左手にヨハネ・パウロ二世像


【2】平和祈念式典とミサ(長崎市)  
翌8日朝浦上地区へ移動しましたが、大雨の為、早々に稲佐山中腹の宿に入り、昼寝しました。 3時半に起き出して、ゆっくり浦上の町に降り、26聖人記念碑を訪れましたが、隣接する資料館はタッチの差で5時に閉館してしまい、今日は休みと割り切り長崎市内中をテクテク歩き、中華街で皿うどんを食べて帰りました。  9日は土曜日で原爆記念日です。 平和公園に朝早くから並び、平和式典に参列、その後永井隆記念館や原爆資料館そして浦上天主堂を巡り、夕方再度平和公園に戻り、カトリック長崎教区主催の平和祈念ミサに参列しました。ミサの模様は真っ暗だったので撮影できませんでしたが、長崎中のカトリック信者が教会ごとに「教会旗」を持って陣取り、高見三明補佐司教様以下約20名(?)の司祭団が祭壇に進む荘重な行列で幕が開きました。  高見司教様の司式は落ち着いた低い声の堂々としたもので、会衆はペンライトを片手に次から次へと聖歌を連唱し、それは感動的なものでした。 (長崎教区では小生訪問時の丁度1年前に島本要大司教様が帰天され、後任の大司教は当時空席でしたが、この度高見補佐司教様の大司教昇任が決まり、12月14日に着座式が執り行われることになりました。)



平和祈念式典  


【3】 浦上天主堂(長崎市)
10日(日)、昨日も訪問した浦上天主堂にミサ参列の為再度訪問しました。 昨日訪問時は平野主任神父様にお目にかかりましたが、今日のミサは若い神父様の颯爽とした司式でした。浦上には岡、前田両助任神父様と助祭様がおられ、 ミサ後3人の若い司祭・助祭様が、教会の外で信者の皆さんとお話しておられました。その相並ぶ写真を撮りここに載せたらカトリックの「若い風」を印象付けられよかったのに、とあとで後悔しました。 右の写真は聖堂入り口脇の教皇ヨハネパウロ二世の銅像です。 昭和20年8月9日、この日聖堂では聖母被昇天の大祝日の準備の告解のために二人の神父様と数十人の信者が天主堂内にいたと思われますが、爆風で天主堂は倒壊炎上し、全員が即死したと浦上教会ホームページは伝えています。  教会の信者も大部分が亡くなり戦後の復旧はいばらの道のりだったようです。



浦上天主堂(長崎市)         ヨハネ・パウロ2世像


【4】日本26聖人殉教記念碑(長崎市)
8日に記念館閉館後訪れた記念碑を再訪しました。 豊臣秀吉の禁教令により1597年にこの地(西坂の丘)で殉教した26聖人のキリシタンを記念したものです。 写真中央左は聖アントニオ(13歳、父は中国人、母は日本人)、右は聖ルドビコ茨木(12歳・最年少、日本人)。 記念碑の裏の資料館で1時間ほど見学時間を取りました。26聖人の遺物やフランシスコ・ザビエルがポルトガル王国へ出した手紙などが展示してあり、興味はつきませんでした。




日本26聖人殉教記念碑(長崎市)


【5】西坂教会(長崎市)  
日本26聖人殉教記念碑と資料館とともに1962(昭和37)年、日本26聖人列聖100周年記念として建てられました。 メキシコからの浄財で献堂されたことから、26聖人のひとりでメキシコ出身の聖フィリッポ・デ・ヘススの名を冠し、聖フィリッポ教会とも呼ばれているとのことです。  スペインのガウディーの聖家族教会を思い起こさせるような2つの尖塔が印象的でした。この後バスで長崎空港に向かい、東京に帰りました。




西坂教会(長崎市)  


 長崎・上五島教会巡礼の旅はこれにておしまいです。  
長い間おつきあい頂き、有難うございました。