前教皇ヨハネ・パウロ2世のご帰天と神の母マリアさま
―聖母月に寄せて―

前教皇ヨハネ・パウロ2世
前教皇ヨハネ・パウロ2世(以下、「前教皇さま」と記します)は、去る4月2日午後9時37分(日本時間3日午前4時37分)にバチカン宮殿において帰天されました。そして8日にはバチカンで葬儀ミサが、また東京カテドラル・関口教会など各地でも追悼ミサが捧げられました。読者の中には、これに与った方々や、テレビなどの報道で接した方々もおられることと思います。 神田教会においても、3日から10日のミサは、前教皇さまの追悼の意向をもって捧げられました。特に3日のミサでは、前教皇さまが祈りを捧げられるお姿の写真と、1981年2月24日に東京・後楽園球場で捧げられた「教皇ミサ」で前教皇さまが用いられた十字架像が、ともに中央祭壇において稲川神父様から披露され、ミサ終了後、会衆はその前でお祈りの時を持ちました。
そして世界では、宗教、国家、民族、世代などの違いを超えて「愛と平和の使徒」であった前教皇さまのご帰天を深く悲しみつつ、そのご生涯に尽きぬ感謝を表し、かつその働きを私たちも引き継ぐことができるようにと祈りました。こうして、ご帰天から葬儀までの1週間は、瞬く間に過ぎて行ったのです。
ここでは、東京カテドラルでの追悼ミサについてレポートし、さらに聖母月にちなみ前教皇さまが聖母マリアさまについて語られたお言葉を幾つか引用してみましょう。
1. 「教皇ヨハネ・パウロ2世追悼ミサ」(東京カテドラル)
東京での「教皇ヨハネ・パウロ2世追悼ミサ」は、4月8日午前11時から東京カテドラル聖マリア大聖堂で日本カトリック司教協議会の主催によって捧げられました。
ミサは、岡田武夫大司教様の司式により執り行われ、全国から13名の司教、多くの司祭が祭壇に並び、会衆席には皇太子殿下、政府関係者、各国の大使館関係者、諸宗教からの参列者が前列に着席されました。そして後列には、カトリック信徒のほかプロテスタント信徒や一般の方々が立錐の余地もない程に集い、さらに聖堂の外では巨大スクリーンを幾重にも囲むように沢山の参列者があふれ、それぞれの場所で心を1つにし、ともに追悼ミサに与りました。
次に、ミサ中の聖歌や聖書朗読箇所などを含め、式次第を順に記しておきましょう。
開祭 入祭の歌「神を敬う人の死は」(典礼聖歌82)
挨拶、回心の祈り
あわれみの賛歌
集会祈願
第一朗読「使徒パウロのコリントの教会への手紙」(Tコリント13:4〜10・12〜13)
答唱詩編「しあわせな人」(典礼聖歌98:2〜4)
アレルヤ唱(典礼聖歌275A)
福音朗読「マタイによる福音」(マタイ5:2〜10)
説教 岡田武夫大司教様
共同祈願
奉献の歌「愛といのち」(カトリック典礼聖歌集1)
感謝の賛歌(典礼聖歌205)
主の祈り
平和の賛歌(典礼聖歌206)
聖体拝領
拝領の歌「平和の歌−ヌチドゥタカラ」(カトリック典礼聖歌集323)
*予定曲のうち「マラナタ」(カトリック典礼聖歌集325)は不使用
拝領祈願
招きのことば
追悼の儀
聖歌「復活の続唱」(典礼聖歌351)
追悼の祈り
挨拶 ローマ教皇庁大使代理モンセニョール・レオン・カレンガ神父様
献花
ミサの説教では、岡田大司教様が前教皇さまの数々のお働きを幅広く紹介され、そして「(前教皇さまに倣い)和解と平和を人々の間に築く決意を新たにしましょう」と説き、天父のお守りとお導きを祈られました。また、共同祈願では、修道者代表、諸宗教対話代表(「長崎くんち」の奉納踊りで知られる諏訪神社で宮司を務められた方)が感謝の祈りを捧げました。

2. 教皇ヨハネ・パウロ2世が語られた「マリアさま」
バチカン宮殿のサンピエトロ広場で捧げられた葬儀ミサは、日本では午後5時から衛星放送で生中継されました。前教皇さまの御遺体が収められた糸杉材の柩には、十字架とマリアさまの頭文字「M」が刻まれていました。御覧になれましたか。
周知のように、前教皇さまは、神の母おとめマリアさまを深く愛され、折に触れてマリアさまに関して語られました。それは、前教皇さまのモットーであった「トートゥス・トゥウス」(私は全身全霊聖母マリアのもの)に象徴されています。
5月は聖母月ですので、ここで前教皇さまが御自身のマリア信心について回顧されたお言葉、特に司祭職への召し出しに結びつくものなどを幾つかを選び、あらためて味読する機会を持ってみたいと思います。
★マリア信心に関しては、それが単に心の欲求や情緒的な傾向にこたえるものであるだけではなく、神の母についての客観的な真理に対応するものであることを、私たち一人一人がはっきり理解しなければなりません。マリアは、新しいアダムであるキリストの面前に、神によって位置づけられた新しいエバなのです。イエスとマリアのこのかかわりは、受胎告知に始まり、ベトレヘムでのイエス誕生の夜をとおって、ガリラヤのカナでの婚宴、ゴルゴタでの十字架を経て、聖霊が降臨された高間へと続いていきました。そういうわけで、贖い主キリストの母は、教会の母であられます。(中略)
私のマリア信心の〔最初の形〕は、幼年時代の幾つかの場面に結びついています。私は、ヴァドヴィツェの小教区の教会にある、「絶えざる御助けの聖母」の像の前でよく祈ったものです。それに次いで、カルメル会のスカプラリオ(聖なる肩布)の戦闘的な信心があり、これは、特別に説得力のあるシンボリズムに富んでいますが、私はそれを故郷の町の「丘の上」にあるカルメル修道院で若いときから知るようになりました。マリア信心の形はまた、〔カルワリア・ゼブジェドヴスカへの聖所巡礼の伝統〕とも結びついています。それは、特にポーランド南部とカルパチア山脈の向こうから数多くの巡礼者たちがよく訪れる場所の一つです。このローカルな巡礼地の特徴は、単にマリア的であるだけでなく、きわめて深くキリスト中心的でもあることです。そこを訪れる巡礼団が、カルワリアの巡礼地に滞在中最初にすることは、ヴィア・クルーチス(十字架の道行き)で、これを行うことで巡礼者たちは、聖母をとおして、キリストのかたわらに自分たちのいるべき場所を見いだします。十字架上のキリストを示す場面は、場所としてもちょうど巡礼地全体を見おろす一番高いところにしつらえられています。聖母被昇天祭の前に行われる荘厳な聖母行列は、聖母が御子の復活と栄光とに特別な仕方であずかっておられることを信じるキリスト者たちの信仰の表明にほかなりません。
幼年時代から、私の聖母信心は、キリスト論的次元と深く結びついていました。カルワリアの巡礼地は、まさにこの方向に沿って私を教育してくれました。(中略)
ここで、〔トートゥス・トゥウス(私はすべてあなた(=マリア)のもの)〕というモットーにもう一度立ち戻る必要があります。先回のご質問で、神の母について、特にこの過去二世紀にわたって起きた聖母マリアの数多くの私的な出現と啓示とについてお尋ねになりましたね。それに対するお答えとして、私は、マリア信心が私個人の生活の中でどのように発展していったかを、つまり、それが郷里の町で始まり、カルワリアの巡礼地を経て、最後にヤスナグラに至る形で発展していったいきさつをお話ししました。〔あたかもキリストがご自分の母の口をとおして「恐れることはない」と言われる事実をポーランドにおいて示すかのように、十七世紀において、ヤスナグラは私の祖国の歴史に加えられたのでした。〕一九七八年十月二十二日、ローマで私が聖ペトロの跡を継いだとき、何にもまして私は記憶に深く刻みつけたのは、疑いもなく、祖国ポーランドでのこのマリア体験でした。(ヨハネ・パウロ2世著、三浦朱門・曾野綾子訳『希望の扉を開く』247〜249・256〜257頁)
★クラクフのデンブニキにいた頃、私はサレジオ会の小教区にある「生きているロザリオ」グループに加わりました。そこには、キリスト教徒の助け手である聖マリアへの特別な信心があったのです。デンブニキでは先に申し上げたようにヤン・チラノフスキーの影響を受けて私の司祭職へ召し出しが進展しつつあった頃、神の御母に対する信心についての私の知識に或る変化が起こりました。私は既に聖マリアが私たちをキリストに導いてくださるということを確信していましたが、その時、キリストが私たちを聖マリアに導いてくださるということにも気が付き始めたのです。(中略)
私はその時、教会が一日三回お告げの祈りを唱える理由を理解するようになったのです。私はその祈りの言葉が如何に大切であるかを悟りました。『主のみ使いの告げありければ、マリアは聖霊によりて懐胎したまえり……われは主のつかい女なり、仰せのごとくわれになれかし……しかしてみ言葉は人となりたまい、われらの内に住みたまえり……』なんと力強い言葉ではありませんか! それは人間の歴史のうちで初めて起きようとしていた最も素晴らしい出来事の最も深い真実性を表しているのです。(教皇ヨハネ・パウロ2世著、斎田靖子訳『怒濤に立つ 教皇ヨハネ・パウロ二世自伝』26〜27頁)
★教会は、毎日の「教会の祈り」の最後に、マリアへの祈りをささげます。その一つに次のような句があります。
「救い主を育てた母、開かれた天の門、光り輝く海の星、倒れて起き上がろうともがくあなたの民に走り寄り、力づけてくださるかた。すべてのものがたたえるなかで、つくり主を生んだかた。」
「すべてのものがたたえるなかで」というこの句が言い表そうとしていることは、マリアが神の母であるという秘義に対する信仰の驚嘆です。この驚きは、すべての被造物の心、直接には、すべての神の民の心、教会の心に起こるものです。すべてのものを創造し、治められる主なる神は、人間に「自らを啓示する」なかで、なんとすばらしいことをなさったのでしょう。神は、創造主と被造物との間の無限の「距離」を、なんと明白な啓示によって埋め尽くされたのでしょう。神は、神としてだけでも言い尽くしがたく、はかりがたいおかたですが、ナザレのおとめから生まれ、人となったみことばの受肉という事実においては、なおさら言い尽くしがたく、はかりしれません。
神は、永遠の昔から人類を神の本性にあずからせようとお望みになりましたが(二ペトロ1・4参照)、人間を、その具体的な条件に合わせて「神とする」よう計画されました。すなわち、人祖の罪にもかかわらず、ご自分と同じ神性を有する御子を「人間とする」という高価な値をはらって、愛から出た永遠の計画を回復されました。この恵みに、全被造物、とりわけ聖霊によって神の本性にあずかるように召された人間は驚きに満たされるのです。「神はひとり子をお与えになるほど、この世を愛された」(ヨハネ3・16)からです。 この秘義の中心、それを信じて驚きの声を上げる人々の中心に、マリアがいます。救い主の母こそ、これを最初に体験したかただからです。それで、「すべてのものがたたえるなかで、つくり主を生んだかた」とたたえられるのです。(荒井勝三郎訳『教皇ヨハネ・パウロ二世回勅 救い主の母』105〜106頁)
(付記)
☆聖母月……5月は、ローマ人やゲルマン人が春を祝った5月祭を背景とし、中世には春における十字架の信心が行われていた月です。近世以降、5月を通して聖母マリア崇敬のために祈る信心が行われるようになり、特に18世紀のイタリアで盛んになりました。さらに教皇ピウス7世の認証(1815年)やマリアの無原罪の御宿りの教理宣言(1854年)によって、19世紀半ばまでには、これが西欧全体に広まりました。これ以降、5月が聖母マリアを敬う月とするマリア信心の伝統は継承され、各地に及んでいます。
☆聖母の訪問(5月31日)……聖霊によってイエスを身ごもったマリアがエリザベトを訪問したことを記念する祝日。ローマでは、8世紀の待降節の中で記念されていましたが、第2バチカン公会議後に、聖書の記述に即し、神のお告げ(3月25日)と洗礼者ヨハネの誕生(6月24日)の間に置かれることになりました。
○ 主な典拠文献=前掲書のほか、@日本カトリック司教協議会編『教皇ヨハネ・パウロ二世追悼ミサ』/A『カトリック新聞』2005年4月10日号・17日号/B土屋吉正著『暦とキリスト教』/C八木谷涼子著『キリスト教歳時記』/D新カトリック大事典編纂委員会編『新カトリック大事典』
(文責 N.N)