聖人たちの“If……”
(1通の手紙をめぐって)

前教皇ヨハネ・パウロ2世
1.序にかえて
最近は、手紙よりもメールや電話で用事を済ませる方が便利でいい、という時代になっています。しかし、例えば聖書に聖ペトロや聖パウロの手紙が収められているように、歴史的に遡ると手紙が最も重要な意思や情報の伝達手段であった時代は大変長く、そして現代に至るまで手紙の持つ役割には極めて大きなものがあります。
また、手紙は、そもそも発信者と受信者同士が読み書きするものです。けれども、手紙には後世に伝えられて史実を確定する上で貴重な歴史資料となるものがありますし、その一方で時代や境遇を異にする私たちが心を打たれる先人の手紙に出会うという経験、これもきっと少なくないでしょう。
今回ここに採り上げる1通の手紙は、イエズス会の創立者で初代総長であった聖イグナチオ・デ・ロヨラ(1491.?.?〜1556.7.31)が認(したた)めたものです。いささか長文ですので、一部割愛して引用しますが、まずは一読し、味わってみてください。
2.聖イグナチオの手紙
『イエス
主キリストの至高の恵みと永遠の愛が絶えず私たちを助け、守護してくださいますように。
主にあって親愛なる兄弟
〔一五〕五二年一月二十八日付のお便りをいただきました。ポルトガルからローマまで届くのが困難なため、お手紙はいつもより日数がかかって着きました。そのため、早速返事をしたためたつもりでも、こんなに遅れてしまったのです。主なる神があなたの使徒活動によって、主の福音の宣教と、日本および中国の人びとの回心への可能性を広く開かれたことをうかがい、神のみまえで、ことのほか慰めに思っております。と同時に、神への知識と神の栄光が日増しに広まり、さらに神の恵みによる賜物を保ち増やすことのできる人びとのあいだに、それがいや増すよう希望しております。
あなたがそちら〔インド〕と中国とにガスパル師と他の人びとを派遣されたことは、的確な措置であったと思います。あなたを導かれるのが永遠の英知〔キリスト〕であられることを私は確信していますから、(インドの事情さえ許せば行くつもりだと言っておられた)中国に、あなた自身で行かれてもよかった、と私は思うことでしょう。
しかし、当地で理解し得るかぎりでは、ご自分はインドに残り、他の人びとを派遣して、自分でしようと〔計画〕されたことを彼らに行わせるために彼らを差し向けられるならば、主なる神へのより大きな奉仕となるに違いない、と判断します。なぜなら、このようにされれば、あなたは一カ所にいながらにして、多くの所で働くことになるからです。さらに、次のことも申し渡します。私は、主なる神へのより大きな奉仕とそちらの国々の人びとへの援助とを顧み、彼らにもたらされる善とはどれほどポルトガルにかかっているかを考えて、あなたには進路が数多くあっても、〔この手紙の着きしだい〕最初の便船で、このポルトガルへの道をたどるよう、聖なる従順の誓願によってあなたに命令することに決定しました。たとえ、ただちにインドに戻られることになるとしても、主キリストのみ名において、このポルトガル帰還を命令します。
〔中略〕
さらに、統轄上そちらに定住する必要があると思われるかもしれませんが、あなたはポルトガルにいながらにして、日本か中国で行うのにまさるとも劣らず、よく統轄することができるでしょう。ですから、あなたは、これまでにもたびたび長期の留守をされましたが、それ以上に長びく予定で、そちらには適任と思われる数人の院長、一人の最高責任者、そして適任と思われる数人の顧問を残して、出発してください。主なる神は、彼らとともにおられるでしょう。
その他の事項は、ポランコ師に委任します。では、私のためにも祈ってくださるよう心からお願いいたします。私も、慈しみ深い至高の神が〔私たち〕一同にその完全な恩恵を賜わり、ご自分の至聖なるみ旨を絶えず悟らせ、それを完全に果たさせてくださるよう祈ります。
一五五三年六月二十八日、ローマにて
ポルトガル到着後は、国王が主なる神の栄光のために、あなたをご自由に使われるよう、国王に従ってください。
主にあって、まったくあなたの、イグナチオ
〔フランシスコ・ザビエル神父〕』(→後掲文献@)
おわかりのように、この手紙は、1553年6月28日にローマ在住のイグナチオからザビエルへ宛てた手紙です。内容は、一言で言えば、ザビエルに対して如何なる計画も抛(なげう)って、即刻ポルトガルへ帰還するように、とイグナチオが命じたものです。こうした決定をイグナチオが下した理由としては、(中略箇所に述べられているのですが)ローマ教皇庁とポルトガル国王に対し、今後の東洋における福音宣教に向けて正確な生きた情報を提供することが必要であり、かつザビエルの帰還が新たな宣教志願者を生む機会となるとも期待され、さらに宣教地の実情に通じたザビエルによってその人選が行われることが望ましい、と述べられています。これに加え、この頃、イグナチオはイエズス会の総長の職を辞する意向をもらしており、かつ体調も良好ではなかったため、ザビエルの帰還を機に総長の職を譲ろうとした、という説もあります。ここまでは、イグナチオの手紙に即したことがらです。
3.聖ザビエルの「ポルトガル帰還」をめぐって
この手紙に先立って彼の許に届けられたザビエルの手紙については、1552年1月28日付のものと書かれていますが(ただし、後掲文献F『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』に収められたザビエルの手紙のうち、これに該当する手紙は、インドのコーチンから発信した1月29日付です)、実際にイグナチオがそれを手にするには、彼自身が手紙で語っているように随分と月日がかかっています(1553年4月18日頃にローマに着いたとされます)。換言すれば、1年半前にザビエルが認めた手紙への返信としてイグナチオが認めたものが、ここに引用した手紙なのです。
もうお気づきの方も多いでしょう。この1年半の中程、すなわち1552年12月3日にザビエルは中国の上川(サンチャン)島で熱病により神様の許に召されています。イグナチオはそれを知らずにザビエルにポルトガルへの帰還を命じており、もちろんザビエルはこの手紙を読むことはあり得ませんでした。
ちなみに、イグナチオがザビエルの帰天を具体的に知ったのは、さらに遅れて1555年になってからのことです(ザビエルに随従していた中国人通訳アントニオが、ゴアのイエズス会員に対しザビエルの最期を看取った報告を送ったのも、帰天してから2年が経っていました)。それまでイグナチオは、ザビエルの帰還と再会を今日か明日かと心待ちにしていたことでしょう。ザビエル帰天の報に接したイグナチオの胸中は如何ばかりだったか、……彼は1555年2月24日付でメルキオール・ヌネス・バレト神父へ宛てた手紙の中で、神様とザビエルへの篤い信頼とともに未だ信じがたい心情を次のように表しています。
『親愛なる兄弟よ、今年はインドからの消息がありませんでした。ただ、ポルトガルに寄港した船を通して、私たちは、最愛の兄弟であるフランシスコ・ザビエル師がこの世を去ったという知らせを受け取りました。もしこの知らせが真実だとすれば、どうか、フランシスコが神とともにありますように祈るばかりです。ポルトガル船から届いた知らせには、事実と矛盾する点も残されていますから、私たちは、実際にフランシスコ師の死をたしかめたイエズス会員からの手紙を待ちたいと考えます。それまでのあいだは、しばらく判断を差し控えることにします。
どちらが真実だとしても、フランシスコの生涯とその死において、主キリストのみ名が栄光に帰され、彼の慈愛は、現世においても、そして天国からも、私たちの働きと神への奉仕を助けてくれることを、確信しております。』(→後掲文献@)
イグナチオがザビエルに命じたポルトガル帰還は、かように叶いませんでした。そしてイグナチオは、ザビエルの帰天を知る前か後か、1555年1月にローマに到着した日本人ベルナルドを迎えます。ベルナルドは、ザビエルから鹿児島で洗礼を受け、その後ザビエルに従い、さらにインドからリスボンを経てローマを訪れた最初の日本人です。イグナチオは、日本、そして東洋で福音宣教を果たしたザビエルについて、この愛弟子と一体どのような深い会話を交わし、それを心に刻んだのでしょうか。
さて、イグナチオとザビエルの運命的な出会い(ともにスペイン・バスク地方の出身)とイエズス会の創設、そしてザビエルの東洋宣教派遣については、後掲文献のほか諸書に述べられています。また、『カトリック神田教会報』2005年4月号所収の拙文「聖フランシスコ・ザビエルとその時代―大航海時代、福音の旅路―」の中でも、簡略に紹介しました。
また、イグナチオとザビエルの相互の信頼関係は殊の外厚いものでした。ザビエルが1552年1月29日付でイグナチオに宛てた手紙(→後掲文献F)を例にしますと、イグナチオのことを「私の真実の父よ」と呼び、これ以前にマラッカで受け取ったイグナチオの手紙を涙ながらに読んだこと、さらに東洋宣教に関して「主なる神への愛と奉仕のために、もしも〔今〕、私があなたのみ前にいるとすれば、あなたの足下にひざまずいてお願い申しあげたいことがあります」などと謙遜の礼を尽くしています。
2人の関係は、ことほどさように強固でしたから、「もし」ザビエルが病死することなく、仮に中国宣教の志半ばにイグナチオからのポルトガル帰還命令の手紙を受け取ったとしたら、彼は即座にこれに従い、船便を得てポルトガルへ急行したことでしょう。そしてイグナチオに再会し、総長の職を譲り受けたかもしれません。さらにイグナチオの『霊操』を含む活動全般を受け継いで発展に尽くし、ひょっとすると歳月を経て自ら日本へ再上陸する機会もあっただろうかと、さまざまな想像が溢れます。時には、こうした“If……”に思いを巡らせる読み方も良いのではないでしょうか。
ただし、こうしたザビエルの帰天とイグナチオの手紙をめぐる「逸話」は、イグナチオの伝記に比べてザビエルの伝記類ではあまり関心が払われていないようです。ザビエルの伝記では、その帰天後、遺骸の移送や埋葬および列福・列聖に叙述が進むため、この逸話は単に小さなエピソードに過ぎないと判断されたのかもしれません。
4.むすびにかえて
今回はイグナチオの生涯全般について記すことは省略しますが、彼は特に高い使徒的霊性を有し、『霊操』の編纂とその指導に特徴があります。『霊操』とは、体操に準えた言葉で、人が祈りと内省を通じて神様の前で正しく考え、かつ聖書を学び、自身の霊的な生活を整えることであり、普通は約4週間のプログラムで行われ、この書はこうした霊的生活の手引きとしてまとめられたものです。これはそのままイエズス会の活動を根底から支えるものであり、カトリック教会の祈り、黙想に限らず広く大きな影響を与えました。最近、前教皇ヨハネ・パウロ2世の帰天に際して前教皇の祈り、思想、逸話と関連づけて祈るテキストが出版されましたが、これもその底流には『霊操』があります(→後掲文献M)。また、イグナチオの日記(1544〜45年)には、彼がミサ聖祭を愛し、よく祈り、屡々涙を流す人であったことも記されています(→後掲文献B)。そして彼には、7,500通を超える大量の手紙が残されています。
なお、7月31日はイグナチオが帰天した日であり、この聖人を記念する日です。ここにイグナチオとザビエルという2人の聖人をめぐる逸話に関する手紙を採り上げたのも、この日にちなんだためです。
○ 主な参考文献=@カトリック・イエズス会編『聖イグナチオ・デ・ロヨラ書簡集』/Aパウロ・フィステル著『聖フランシスコ・ザビエルの師 聖イグナチオ』/BA.エバンヘリスク、佐々木孝訳編『ロヨラのイグナチオ その自伝と日記』/Cイグナチオ・デ・ロヨラ著、門脇佳吉訳・註解『ある巡礼者の物語』/Dイグナチオ・デ・ロヨラ著、門脇佳吉訳・解説『霊操』/E上智大学カトリックセンター編『西方からの息吹 聖イグナチオ・デ・ロヨラ生誕500年記念論文集』/F河野純徳訳『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』/Gアルーペ神父・井上郁二訳『聖フランシスコ・デ・ザビエル書翰抄』/H河野純徳著『聖フランシスコ・ザビエル全生涯』/I尾原悟『ザビエル』/Jウィリアム・V・バンガート著、上智大学中世思想研究所監修『イエズス会の歴史』/Kフランシス・トムソン著、中野記偉訳『イグナチオとイエズス会』/LPasquale
M.D’ Elia S.J.著、本田善一郎訳「ローマを訪れた最初の日本人ベルナルド(一五五五年)」:『キリシタン研究』第5輯/Mホアン・カトレット著、高橋敦子訳『ヨハネ・パウロ二世とともに祈る』/N新カトリック大事典編纂委員会編『新カトリック大事典』
(文責 N.N)