イエスのみこころの日、み心の月、聖心の旗





前教皇ヨハネ・パウロ2世



1.6月は「イエスのみこころの月」

 今春の東京は、前年と異なって復活祭を迎えた後に桜の花が開きました。キリスト教の移動祝祭日と季節の微妙な移り変わりや風物との巡り合わせは、時として私たちの心に忘れ得ぬ思い出を刻むこともあれば、単に時候の挨拶や服装に一工夫を要するくらいのこともあり、いずれにせよ話題には欠かないようです。
 毎年5〜6月の移動祝祭日として、「主の昇天日」「聖霊降臨の主日」「三位一体の主日」「キリストの聖体日」が祝われます。ただし、今年の場合はお気づきのように、これらは全て5月に収まっています。
 それでは今年の6月は?……と言うと、「イエスのみこころの日」(キリストの聖体日にあたる主日の直後の金曜日)が6月3日です。この祭日は、5月29日から7月2日までの間に訪れますが、6月中の場合が多いため、カトリック教会では6月を「みこころの月」としています。この「みこころ」は、「み心」「聖心」とも表記され、後者は「せいしん」と読むこともあります。

2.イエスのみこころの信心

 イエス(イエズス)のみこころの日。これは、カトリック教会特有の祭日です。まず、この信心の歴史を大まかに辿ってみましょう。
 イエスのみこころの信心は、十字架上のイエスが脇腹を槍で突き刺されたことから、初代教会の教父たちによるイエスの脇腹の傷への信心に始まりがあるといわれています。これが中世ヨーロッパでは、脇腹の傷への信心から、次第にイエスの心臓も槍で刺し貫かれたことに思いを巡らせるようになりました。そして、イエスの貫かれた心臓への信心、さらにそれをイエスの無限の愛を象徴する心と結びつけて崇敬する「みこころの信心」へと導かれていきます。シトー女子修道会やフランシスコ会、さらにカルトゥジア修道会、イエズス会、イエズス・マリア会(ユード修道会)などがこの信心を広め、多くの人たちに慰めと力を与えたということです。
 この信心が広く普及したのは、フランスのブルゴーニュ地方で生まれた聖マルグリット・マリー・アラコック(1647〜90、マリア訪問会の修道女。聖マルガリタ・マリアのように表記されることもあります)のもとに現れたイエスと彼女との数回の「対話」(私的な啓示)がきっかけとなっています。これが聖書に記されたイエスの啓示と愛を象徴的に表すものであると捉えられ、次第に受け入れられていきました。
 聖マルグリットは、福音史家ヨハネの祝日である1673年12月27日、パレー・ル・モニアル修道院聖堂の御聖体の前で祈りを捧げていました。そこに現れたイエスが、みこころを示しながら次のように説かれた、と彼女は書き留めています(後掲の文献C)。すなわち「神である私〔=イエス〕のみ心は、人々のため、また特に、あなたのため、それほどの愛で燃え上がっているので、もはや自分自身の中にその燃えている愛の炎を、保っていることができないほどになっています。それで、あなたを使ってこの愛を広め、あなたの中に見つけるような貴重な数々の宝石で、かれらを豊かにするために、人々に私のみ心自身を示さなくてはならないのです。」「私は、あなたに、聖心の非常に愛する弟子の名を与えます。」
 その翌1674年6月に彼女の前に現れたイエスは、「初金曜日の信心」について、9ヶ月間続けて月の第1金曜日(初金曜日、略して初金)に償いの意図をもってミサに与り聖体を拝領する者には、イエスのみこころに受け入れられる恵みが与えられる、と約束されました。今日も大切にされている「初金」は、ここから生まれたものです。
 さらに1675年6月13日(キリストの聖体日)に現れたイエスは、彼女に「聖体の大祝日から8日後の最初の金曜日が、私のみ心に栄誉を与える特別な祝日として捧げられるよう要求します。」と説かれました。このとき、聖マルグリットはイエスの胸に心臓を見たと言い、その後彼女の証言に基づいたデザインの御絵や彫像が作られるようになりました(後述)。なお、念のため補足しますと、キリストの聖体日は、そもそも三位一体の主日の直後の木曜日を指しますが、日本のようにその次の日曜日に祝う地域もあります。ここに引用した聖マルグリットの証言では、前者の木曜日が聖体日ですから、そこから起算して8日後の金曜日がみこころの日になる訳です。
 こうしたイエスのみこころの信心は、聖マルグリットとイエズス会司祭の聖コロンビエールらの熱心な働きを軸として、全カトリック教会へと広められていきます。そして、イエスのみこころの日は、1765年に教皇クレメンス13世がポーランドの正式な祭日とすることを認め、さらに1856年に教皇ピウス9世が全てのカトリック教会で祝うべき祭日と定めました。
 さて、イエスのみこころ、すなわち「聖心」を会の名に選んだ修道会などが活動しています。日本でも、男子の「イエズス・マリアの聖心会」「イエズスの聖心布教会」、女子の「聖心会」「聖心侍女修道会」などを挙げることができます。また、東京都内では、カトリック麻布教会がイエスのみこころに捧げられた教会です。
 ここで、本題のまとめを少し記しておきましょう。イエスのみこころの信心の核心は、イエスによってなされた「救いのわざ」全体を人に示していることであり、その崇敬はイエス自身に向けられたものです。そしてイエスが神と人を無限の愛で愛したことを模範として、私たちが神と人を愛することこそ、この信心の優れた実りであるということです。

3.イエスのみこころの御絵
 イエスのみこころを崇敬することから、これを表現した御絵や彫像は、御存知のように独特なものです。例えば、イエスの胸に描かれた心臓には、茨、血、十字架、炎などが加えられ、しかも燦然と光り輝いています。その炎は愛を象徴し、茨はイエスを傷つける人々の罪を象徴しており、いずれも聖マルグリットが見たとされるものを表現しています。
そしてイエスのポーズには、色々なバリエーションがあります。例えば、
(a)その心臓を片手で指差すもの。
(b)両手を広げたもの。
(c)左手で心臓を持つもの。
(d)みこころを示すイエスの前に跪く聖マルグリットが描かれたもの。
(e)イエスのみこころに加えて御聖体が描かれたもの。 などですが、このうち(d)は聖マルグリットの御絵として親しまれています。

4.「聖心の旗」の奉献
 次に、イエスのみこころの信心と日本人との関わりをめぐって、歴史的に特色ある出来事を掲げておきましょう。
 その舞台は、第一次世界大戦中のことです。ドイツ、オーストリア、イタリアの三国同盟に対して、イギリス、フランスなどの協商国(連合国)側は、自国の国旗に「みこころの印」を付し、この「聖心の旗」を教皇ベネディクト15世から祝福を戴いた後で、1917年3月26日にパレー・ル・モニアルにある聖マルグリットゆかりの訪問会修道院の聖堂祭壇へ捧げる、というセレモニーを行いました。
 当時、在欧の日本人カトリック信徒は、イタリア国大使館付海軍武官としてローマに駐在していた海軍中佐の山本信次郎(1877〜1942)1人であったと言われており、山本は協商国側の各国代表と共にこの奉献に賛同しました。彼は、たまたま日本から取り寄せてあった日章旗の真中に金糸で「みこころの印」を刺繍させた「聖心の旗」を、聖堂祭壇の聖マルグリットの遺物函の上に奉献しました。後掲の文献E86頁には、やや不鮮明ながら、その状況を伝える写真が掲載されています。いわば、日本のカトリック教会が国際舞台に参加した注目すべき1シーンと言えるでしょう。
 さて、この山本信次郎は、明治時代の後期から昭和時代の太平洋戦争初期に至るまで、カトリック信徒として幅広く精力的に活動した人です。「聖心の旗」に関連して、ここに簡単に紹介しておきましょう。
山本は、公的な職務としては日本海軍の軍人(海軍少将に昇進)であり、今年100周年にあたる日本海海戦その他での軍功があります。加えて堪能なフランス語などを駆使して外交交渉の場でも活躍した経験を持ち、さらに宮内省御用掛(ごようがかり)などに任ぜられ昭和天皇の側近も務めました。1921年にバチカンで教皇ベネディクト15世と訪欧中の昭和天皇(当時皇太子)との接見が実現した背景には、山本の尽力がありました。彼は、こうした職務にあって、常に自らがカトリック信徒であることを表明し続けました。
一方、カトリック教会関係の働きも多岐にわたります。まず、彼は公教青年会の会長として会を全国組織化し、1923年に創刊した『公教青年時報』(現在の『カトリック新聞』)のようにカトリックの出版や研究を支える基礎を築きました。また、岩下壮一神父ほか司祭に対する支援はもとより、妻千代子が創立した聖心聖マルグリット会など修道会を支援しており、「暁の星なる聖母に対する祈り」を奨励する運動では、海外のカトリック教会に日本の改宗を願う祈祷を捧げるように依頼しました。彼自身、バチカンを6回訪問し、4名の教皇に謁見していますし、さらに自邸でカトリック片瀬教会が産声を上げたことなども看過し得ません。
山本信次郎をはじめ、カトリック史上注目される人物についても、他日機会が得られれば、より具体的に採り上げてみたいと思います。

○ 主な参考文献=@土屋吉正著『暦とキリスト教』/A八木谷涼子著『キリスト教歳時記』/B新カトリック大事典編纂委員会編『新カトリック大事典』/C鳥舞峻訳『聖マルガリタ・マリア自叙伝』/D田代安子著『聖心の使徒 聖女マルグリット・マリー』/E『声』第796号(1942年7月臨時増刊「山本少将遺稿選集」)/F山本正著『父・山本信次郎伝』 7日号/B土屋吉正著『暦とキリスト教』/C八木谷涼子著『キリスト教歳時記』/D新カトリック大事典編纂委員会編『新カトリック大事典』

(文責 N.N)