聖フランシスコ・ザビエルの言葉(1)






「臨終の聖ザビエルの絵」の祝別



はじめに

  8月15日は、幾つかの大切な記念日です。まず、カトリック教会では聖母の被昇天を記念する祭日です。また、神田教会の保護の聖人である聖フランシスコ・ザビエルが1549年に鹿児島に上陸し、初めて日本にキリスト教を伝えた日です。そして、いわゆる終戦記念日であることも重要です。今年、皆様は、この8月15日をどのようにお迎えになりましたか。 さて、「カトリック神田教会報」では上述したザビエルの来日にちなみ、今月号から2回にわたり、ザビエルが書き留めた書簡の中から、彼の言葉を抄出してみたいと思います。今月号では、主に日本での福音宣教をめぐる言葉を掲げます。9月号では、カトリックの信仰生活や奉仕・宣教観を表す言葉を中心に採り上げる予定です。もっとも、いずれも内容上重複する面があることは言うまでもありません。

 これから御覧に入れるザビエルの言葉は、いずれも断片的に引用するものばかりですし、あえて系統立ててもいませんが、 引用したもののみでもザビエル自身の考え、彼らが行った宣教、さらに当時の日本社会の一端が窺えるなど、興味は尽きません。 ザビエルの日本滞在中には、好結果もあれば予期せぬ苦難もありましたので、彼が発した言葉は自らの信仰・愛と共にこうしたさまざまな見聞や経験に立っています。もちろん宣教師であるザビエルがイエズス会士にあてた書簡が中心ですので、日本の文化・社会事情全般に話題が及んでいるわけではない点は否めませんが……。ともあれ彼の宣教の実情について、例えば「苦難は忍耐を生み、忍耐は試練にみがかれた徳を生み、その徳は希望を生み出すことを知っています。」(ローマ5・4)など、さまざまな聖書の言葉に重ねて読み、味わうことも工夫できそうです。 紙幅の都合上、背景などの参考情報には触れませんが、以下に抄出するザビエルの言葉が誘い水となって、書簡集や伝記類などを直接繙いていただければ幸いです。

 ここに引用する書簡の底本は、河野純徳訳『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』を用いました。本書には、1535年から52年にかけてのザビエルの書簡137通が収められています。ただし、今回はザビエルの来日以降を対象とし、1549年11月5日付の書簡第90以降のものに限りました。そして書簡の番号順、記載順にしたがってザビエルの言葉を抄出します。引用文中の〔〕は底本の補足、()は底本の注記、<>及び「*注」は引用者の注記であり、文頭の◎は引用者が便宜上付しました。 なお、主な参考文献などは、9月号にまとめて掲載します。

1.聖ザビエルの日本に於ける宣教をめぐって

【書簡第90 ゴアのイエズス会員にあてて 1549年11月5日鹿児島より】
◎ 私たちは天地の創造主なる神とその御子イエズス・キリストにお頼りして、その愛と奉仕のため、聖なる信仰を広めるために日本へ行く〔ことを喜んでいました〕。
◎ こうして神は私たちがあこがれていたこの地にお導きくださり、一五四九年八月、聖母の祝日(十五日)に到着したのです。日本の他の港に寄ることができず、聖信のパウロの郷里である鹿児島(Cangoxima)にやって来ました。ここで私たちは彼の親戚や親戚でない人たちすべてより、心からの歓迎を受けました。
 *注:「聖信のパウロ」=日本人アンジロウの霊名。
◎ 日本人についてこの地で私たちが経験によって知りえたことを、あなたがたにお知らせします。

 第一に、私たちが交際することによって知りえた限りでは、この国の人びとは今までに発見された国民のなかで最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます。大部分の人びとは貧しいのですが、武士も、そうでない人びとも、貧しいことを不名誉とは思っていません。

◎ 彼ら<日本人>はたいへん喜んで神のことを聞きます。とくにそれを理解した時にはたいへんな喜びようです。過去の生活においていろいろな地方を見てきた限りでは、それがキリスト教信者の地方であっても、そうでない地方であっても、盗みについてこれほどまでに節操のある人びとを見たことがありません。
◎ 私があなたがたにお知らせしたい唯一のこと、それは主なる神に大きな感謝を捧げていただきたいことです。この島、日本は、聖なる信仰を大きく広めるためにきわめてよく整えられた国です。そしてもし私たちが日本語を話すことができれば、多くの人びとが信者になることに疑いありません。主なる神は私たちが短い期間に〔日本語を〕覚えるならば、きっとお喜びくださるでしょう。私たちはすでに日本語が好きになりはじめ、四〇日間で神の十戒を説明できるくらいは覚えました。
◎ 善良で誠実な友聖信のパウロの町で、城代や奉行はたいへんな好意と愛情をもって〔私たちを〕迎えてくださいました。パウロが領主に引見された時に、領主は鹿児島から五レグア(二八キロ)離れたところにおりました。パウロは私たちが〔インドから〕持って来た聖母のたいそう敬虔な聖画を持参しました。領主はそれを見て非常に感激し、主なるキリストと聖母のご絵の前にひざまずき、深い敬意と尊敬をもって聖画を拝まれました。
◎ 私たちはこの偉大な恵みを〔神から〕いただけるという大きな希望をもって生活しておりますので、私たち自身の力は全く信頼しておりません。主なるイエズス・キリスト、その御母である至聖おとめマリア、九つの天使の歌隊にすべての希望を託し、戦闘教会の総帥であり、守護者である大天使ミカエルの保護に依拠し、この大きな日本の国をお守りくださるよう委ね、毎日特別に聖ミカエルに祈っています。また日本人の改心のために、主なる神にお願いすることをとくに配慮してくださる守護の天使たちにも、日本人をお守りくださるようにあわせて祈っております。
◎ 大天使ミカエルの祝日(九月二十九日)にこの地の領主と会談しました。領主はたいへん丁重にもてなしてくださり、キリスト教の教理が書かれている本を大切にするように言われました。そしてもしも、イエズス・キリストの教えが真理であり、良いものであれば、悪魔はたいへん苦しむであろうと言われました。数日後、その臣下たちにキリスト信者になりたい者はすべて信者になってよいと許可を与えました。

【書簡第94 マラッカのドン・ペドロ・ダ・シルヴァにあてて 1549年11月5日鹿児島より】 ◎ 二年もたたないうちに聖母の教会をミヤコに建てたという便りを閣下に書くことができると、私はかたく信じています。それは日本へ来る人たちが海上の暴風雨のさなかにミヤコの聖母に寄りすがることができるようにするためです。  *注:ザビエルの遺志を継ぎ、1576年8月15日に京都南蛮寺奉献式が行われた。

【書簡第95 マラッカのフランシスコ・ペレス神父にあてて 1551年12月24日ごろシンガポール海峡より】 ◎ 主なるイエズス・キリストの信仰がきわめてよく広められつつある日本を(十一月十五日に)出発してから、三九日たちました。日本でもっとも有名な〔山口という〕町には、すでに信者となった人たちの〔信仰を守り〕、そして毎日信者になる人たちに〔宣教する〕ため、コスメ・デ・トーレスとフアン・フェルナンデスが残っています。

【書簡第96 ヨーロッパのイエズス会員にあてて 1552年1月29日コーチンより】
◎ 彼ら<日本人>はお互いに礼儀正しくしていますが、外国人を軽蔑していますので、〔私たち外国人に対しては〕 彼らどうしのようには礼儀正しくしません。財産のすべては衣服と武器と家臣を扶持するために用い、財宝を蓄えようとしません。非常に好戦的な国民で、いつも戦をして、もっとも武力の強い者が支配権を握るのです。一人の国王を戴いていますけれど、一五〇年以上にわたって彼に従っていません。このため、彼らのあいだでは絶えず戦っているのです。
◎ 私たちパウロの故郷〔の鹿児島〕に滞在していた年には、信者たちに教理を教え、日本語を習い、 教理の中からたくさんのことを抜粋して日本語で〔使徒箇条の説明書を〕書くことなどで多忙を極めました。〔その説明書の中で〕天地創造について彼らが知っていなければならない必要なことを簡潔に説明することにしました。たとえば、日本人がまったく知らない万物のただひとりの創造主のこと、その他の必要なことから〔始めて〕、キリストのご託身に至り、キリストのご生涯のすべての奥義をご昇天まで取り扱い、また最後の審判の日についても説明しました。たいへんに苦労してこの〔説明〕書を日本語に翻訳し、その日本文を〔私が朗読できるように〕ローマ字に書き改めました。そして自分の魂を救うために、神やイエズス・キリストを礼拝しなければならないことを、キリスト信者になる人たちが理解できるように読んで聞かせました。

 日本人はたいへん立派な才能があり、理性に従う人たちなので、これこそ真理であると思い、信者も信者でない人もキリストの奥義を喜んで聞きました。彼らが信者にならなかったのは、領主〔の命令に反すること〕を恐れたからで、神の教えが真理であり、自分たちの宗教が過ちであることを理解しなかったためではありません。 ◎ 〔日本人は〕知識欲の旺盛な人びとなので、〔聖父と聖子と聖霊との御名によりて〕と言うのは何を意味するのか、なぜ右手を額において「聖父」と言うのか、「と聖子」と言って〔右手を〕胸におくのか、「と聖霊の」と言って、〔右手を〕左の肩から右に引くのかと質問します。私たちは、これについて説明しましたので彼らはたいへん大きな慰めを感じました。このあと「キリエ・エレイソン・キリステ・エレイソン、キリエ・エレイソン」を唱えるとすぐにその言葉の意味を尋ねます。次にロザリオの祈りに移り、一つひとつの珠に「イエズス・マリア」〔の御名〕を唱えながら繰っていきます。主の祈り、アヴェ・マリア、クレドは書いて少しずつ覚えてゆきます。 ◎ 私は肉体的にはたいへん元気で日本から帰って来ましたが、精根は尽き果ててしまいました。<中略>私の頭はすでに白髪でおおわれてしまいましたが、体力に関する限り、これまでに経験しなかったほど〔の充実感に〕満たされています。

【書簡第110 ローマのイグナチオ・デ・ロヨラ神父にあてて 1552年4月9日ゴアより】
◎ 日本での経験から分かったことは、霊的な成果を挙げるために日本へ行かなければならない神父、とくに諸大学へ行かなければならない神父たちには、二つのことが必要です。第一は、実社会においてよく試練され、迫害を経験した人たちで、自分自身について内心の認識を〔持っている者でなければなりません〕。なぜなら、日本においては、ヨーロッパではたぶん受けたことのないような大きな迫害を受けねばならないからです。日本は寒いところで、衣服はほとんどありません。寝台がありませんから、寝台の上に寝られません。食糧も豊かではありません。日本人は外国人を軽蔑し、とくに神のことがよく分かるまでは、神の教えを説くためにやって来た人を〔軽蔑します〕。日本の僧侶は、宣教師をつねに迫害します。また諸大学へ行く者は、その旅の途中、たくさん盗賊がいますから、ミサ聖祭を捧げるために必要な物を持って行くことができないと思います。大きな困難と迫害のうちにあって、ミサ聖祭における慰めと主なるキリストの聖体を拝領する者が受ける霊的な力を得られないままで〔いなければならないのです〕。日本の諸大学へ行くべき神父がどのような徳を修めていなければならないのか、ご承知おきください。  *注:黙想の余裕がないことや、ミサを捧げ得ないこともあるという(書簡第98)。
◎ 日本〔へ派遣する〕には、イエズス会のフランドル人神父やドイツ人神父が日本のひどい艱苦を忍び、寒気に耐えるに適しているとたびたび考えました。

【書簡第128 マラッカの日本人ジョアンにあてて 1552年7月22日シンガポール海峡より】
◎ 神があなたをよく助けてくださいますようにたびたび告解し、ご聖体を拝領しなさい。あなた自身を神にお任せし、罪を犯すことを避けなさい。もしも神に逆らうならば、この世か来世できびしく罰せられます。ですから、地獄へ行くようなことをしないように気をつけなさい。日本へ行ったらマルコやパウロ・アンジロウによろしく伝えてください。神があなたを聖なるものとし、幸いな者として天国の栄光にお召しくださいますように。  *注:既知のザビエル書簡のうち、日本人信者宛ての貴重な書簡。
    ジョアンは、アンジロウの僕。ザビエルと共に離日、1556年帰国。

(文責 N.N)