聖フランシスコ・ザビエルの言葉(2)

「臨終の聖ザビエルの絵」の祝別
2.聖ザビエルが語るカトリックの信仰生活、奉仕、福音宣教
【書簡第90 ゴアのイエズス会員にあてて 1549年11月5日鹿児島より】
◎ 神に奉仕することを望んで生活する者は、些細なことにもへりくだり、つねに自身の考えを放棄して、神のうちに深くて堅固な礎を築くように努力しなければなりません。この世に生活する時も臨終にあたっても、大きな危険や苦難に備えて、創造主の最高善とご慈悲に希望を託し奉ることを知るようにしなければなりません。どんなに些細なことであっても、嫌悪の情を感じる誘惑に対しては、うちかつ方法を習得し、深い謙遜を持ち、自分自身の力を頼まず、精神力を強め、大いなる信頼を神に捧げ、主なる神が与えてくださる恩恵をよく用いる時、弱い者は誰もいません。
*注:ザビエルは、神が謙遜な人びとを高め、力づけてくださると確信していた。
◎ あなたがたが諸徳を兼ね備え、贖い主にして主なるイエズス・キリストへの奉仕のために、さまざまな苦しみを耐え忍ぶことを望んでいただきたいのです。そして神は、いかに多くの奉仕を捧げようとする謙遜に満ちた善良な心を、重んじられるのだということをつねに思い起こしてください。
◎ 〔謙遜な人たちは〕自分のすべての意向と願望とを、神に仕えることのみにおくことは明らかですし、またすべての被造物は神の統御のもとにあるのですから、神に逆らうこと以外は何も恐れません。〔謙遜な人たちは〕このように考え、神がどれほど大きな恵みを与えてくださったかを感じて、神に感謝を捧げ、そしてまた彼らを迫害する隣人を愛します。なぜなら、〔迫害する〕隣人は大きな恵みをもたらす手段だからです。またこのような大きな恵み〔を与える隣人〕に報いることができないで、忘恩の徒となることがないように、心をこめて、神に、隣人のために数かずの恵みをお与えくださるようお願いします。あなたがたがこのような人になられるように、神において希望しています。
◎ 主〔イエズス〕が仰せられた「たとえ全世界を手に入れても、自分の魂を失ったならば、なんの益になろうか」(マタイ16・26)というみ言葉を、いつも心に留めておいていただきたい。あなたがたの誰かが、イエズス会で長いあいだ生活してきたし、他の兄弟たちよりも古いから、それほど長くない人たちと比べて古いゆえに優れているのだと考えることは、根拠がないことです。古参の会員たちが幾度も自身反省して、イエズス会のなかで長年生活していても、その長い年月をうまく活かせないで、前進せず、むしろ退歩に多くの時間を費やしてしまったのに気がついた、と私に知らせてくださったら、私はうれしいと思いますし、たいへん慰められるでしょう。なぜなら、完徳の道で前進しない者は、得たものまでも失うのですから。
◎ この地方<日本>に来る人たちは、能力の限界を十分に試されるだろうということを信じてください。 このために、諸徳を身に備えようとどれほど努力しても足りるものではありません。私がこのように言うのは、特に奉仕することは苦労が多いものであるとか、主の軛(くびき)は負いやすい(マタイ11・30)ものではないなどと言いたいからではありません。なぜなら、もしも人びとが神を探し求めるためには必要な手段を取り入れ身につけるならば、神への奉仕にたいへん大きな心地よさと平安とを見出すことができます。また、自分に打ち勝つのに、どれほど嫌悪の情を感じるとしても、誘惑に負けぬように努力しなければ、いかに多くの精神的な喜びと満足とを失うかが分かってさえいれば、その嫌悪の情をすべて克服して前進するのは、いともたやすいことでしょう。精神力の弱い人たちはいつもこの誘惑に負けて、神の全善を知ることができず、苦労の多い生活のなかで安心することができません。なぜなら、心のうちに霊的なことを味わうことなしにこの世で生活することは、それは生きるということではなく、死の連続なのですから。
◎ 主なる神が他の数かずの恵みとともにお与えくださるこの大きな恵みを考えますと、いつもお示しくださるご慈愛を感じて当惑してしまいます。私たちが神の聖なる信仰を広めるためにこの日本に来て、神にいくらかでも奉仕するのだと考えていましたけれど、私たちがより深い信仰、希望と信頼を神に持つため、これを妨げる被造物への愛着を断ち切るために、計り知れない大きな恵みをもって、私たちを日本へ導いてくださったのです。今私は〔このことを〕神の全善によって、明らかに認識し、感得いたしました。すべての善の源である御者のみに希望を託し、当然備えるべき〔諸徳を修めれば〕私たちの生涯がどれほど大きな安らぎと平安に満ちあふれたものになるかを考えてください。そしてまた、神は信頼する人たちを欺くことなく、むしろ人びとが懇願し、望むよりももっと寛大に〔お恵みを〕お与えくださるものであることを、今、あなたがたは〔真剣に〕考えてください。
◎ 神のご慈愛で私たちに悟らせてくださったその他の恵みをつねに感謝するために、あなたがたに助力していただきたいので、何かとお知らせすることもまた必要なことです。と申しますのは、他の国ぐにでは生活必需品が豊富なので、欲しい物はなんでも手に入れたいという無秩序な欲望の原因となり、またその機会が習慣となっています。多くの場合、節制の徳は押しやられて、精神的にも身体的にも、人びとは大きな害を受け、身体上、またさらに精神上のさまざまな病気の原因となっています。それで人びとは中庸を保つためにたいへん苦労しながら生活しています。そして中庸を得る前に、身体上のさまざまな苦しみや痛みを忍び、健康を回復するために、以前に味わった飲食の楽しみの度合いをはるかに超えた苦しみを味わう薬を飲んで、寿命を短くしているのです。この苦しみのうえ、さらに大きな苦しみが加わります。〔患者は〕自分たちの生命を医師の能力に委ねますが、医師はいろいろな過ちを経験したのち、〔初めて〕的確な治療法を知るに至るものです。
◎ 私たち〔の霊的生活〕における大きな心配事についてあなたがたに報告するのは、私の慰めになりますし、〔この心配のために〕あなたがたがミサ聖祭や祈りで私たちを助けていただきたいからです。というのは、私たちが絶え間なく犯す邪悪と大きな罪とは主なる神〔の御眼〕には明らかです。もしも私たちが深く〔反省し〕改心しない限り、神への奉仕を終わりまで耐え忍ぶために神が恵みを施し、恩恵を与えることをお止めになるのではないかと恐れながら生活しなければならないからです。そしてこのためにこの世におけるイエズス会の聖名〔をいただく〕祝福された会のすべての会員、会の熱心な協力者や友人たちのとりなしによって、聖にして母なる教会、私たちの主であり、また贖い主であるキリストの浄配である教会に私たちを奉献していただきたいのです。聖なる教会の数かずのそして無限の功徳を、私たちに分け与えてくださることを確信し、疑うことができません。
【書簡第97 ローマのイグナチオ・デ・ロヨラにあてて 1552年1月29日コーチンより】
◎ 主なる神は日本人〔の救霊に働くこと〕によって、私自身の限りない惨めさを深く認識する恵みを与えてくださったのですから、日本の人たちにどれほど感謝しなければならないか、書き尽くすことはできません。なぜなら、日本において数かずの労苦や危険にさらされて自分自身を見つめるまでは、私自身が自分の内心の外にいて自分の中に〔どれほど〕たくさんの悪がひそんでいたか、認識していなかったからです。主なる神は私〔の霊的生活〕についてとくに配慮してくださる誰かがいなければならないことを、明らかに自覚させてくださいました。神のご慈悲によって自分が不適任であることを明らかに知りえた私でありますのに、ここ〔インド〕にいるたくさんのイエズス会員の霊魂を〔管区長として〕配慮する責任を私にお任せになったことの〔重大さを〕お考えください。私こそ他の会員たちの〔手に〕委ねられると思っておりましたのに、あなたは会員たちを私に委ねられました。
むすびにかえて ―聖ザビエルの生涯を辿るにあたって―
8月号、9月号と続けてザビエルの書簡に記された彼の言葉を、ほんの幾つか抄出してみました。これらは、ザビエルの書簡として残る137通のうち、ごく一部に過ぎません。中には、今回引用できなかった他の言葉と対比する方がより理解しやすいものもあると思いますので、来年のザビエル生誕500年を記念する日までの半年余を利用して、もちろんそれ以降もですが、私たち一人一人がザビエルの生涯とその信仰・宣教などについてより広く学ぶことができれば、きっと意義深いことでしょう。その手掛かりとして、末尾に「主な参考文献」を列挙しておきました。
ザビエルの生涯を辿るにあたって、最も基本となる史料は言うまでもなく彼の書簡です。「主な参考文献」のうち、@はその全訳であり、Aは抄訳です。@は平凡社の東洋文庫シリーズに、Aは岩波文庫に収められています。また、Jはザビエルと日本についての抄訳と解説です。ほかにザビエルについて語る史料としては、例えば宣教師ルイス・フロイスの『日本史』(K)にも、彼の動向に関する記事が一部収められています。「主な参考文献」には掲げませんでしたが、東京大学史料編纂所編『日本関係海外史料
イエズス会日本書翰集』などの史料集も同様です。また、内外の研究機関などに保管されているザビエル関係の史料を博捜した新たな研究成果として、岸野久著『ザビエルと日本』(I)は興味深いものです。
ところでザビエルは、彼を対象とする大量の伝記や研究書などが著されてきた、という面でも希有な宣教師であるかもしれません。その嚆矢としては、トルセリーノ著『フランシスコ・ザビエルの生涯』(Orazio
Torsellino,De Vita Francisci Xaverii,Romae 1594)を挙げられますが、「主な参考文献」には日本語で読むことができる主要なものを掲げました。ただし、刊行時期が古いもの、物語風の伝記や小説、アンジローら周辺人物を中心とするものや地方出版などは、原則としてここには挙げていません。
これらの中で最もまとまった伝記と言えば、Bでしょう。これは1988年の刊行ですが、現在は平凡社のオンデマンド出版扱いで入手できるはずです。Cはビジュアルで、家庭でも楽しく読めるような気がします。Dは最も簡潔なもので、神田教会の聖堂にも備え付けてあります。EFGHも新旧の差はありますが比較的コンパクトな伝記です。ILは学術研究書に類するものであり、そのうちLはシンポジウムにおける研究報告などの記録が中心です。写真集ではQが代表的でしょうが、これとは別にザビエルの足跡を辿るビデオを観るのも良さそうです。また、RSは、いわば背景や関連情報を知るために、多数の文献の中から試みに例示したものです。
こうした出版物のほか、新聞雑誌類の論文や記事などの中にも多くの研究成果が見られます。最近の一例を挙げれば、清水紘一著「ザビエルの『日本国王』認識をめぐって」(『キリシタン文化研究会会報』125号所収、2005年5月)があり、こうした研究の積み重ねによって、ザビエル像が歳月とともに修正されることが期待されます。
振り返って1949年、ザビエル来日400年にはザビエルの伝記類が幾冊か出版されました。戦後のキリスト教ブームの追い風を受けたこともありますが、読んでみますと諸々の制約の下で急いでまとめられたものもあったことが窺えます。また、1999年の来日450年にあたっては、例えばLMNOPのような成果が眼に留まります。ただし、これらの中には現在入手が難しいものもあります。拙稿「聖フランシスコ・ザビエルとその時代」(『カトリック神田教会報』2005年4月号)は、来年のザビエル生誕500年を見据えつつ、主要な文献を参考にして簡略にまとめたものですが、いよいよ来年はどのような成果が世に現れるか、興味津々です。そして、読者の皆様や内外の人々にとってザビエルがより身近な存在になれば、一層幸いです。
★主な参考文献=@河野純徳訳『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』/Aアルーペ神父・井上郁二訳『聖フランシスコ・デ・ザビエル書翰抄』/B河野純徳著『聖フランシスコ・ザビエル全生涯』/C岸野久監修『徹底大研究 日本の歴史人物シリーズ10 フランシスコ・ザビエル』/DH.チースリク編『フランシスコ・ザビエル 希望の軌跡』/Eホアン・カトレット著、金子桂子訳『東洋の使徒 聖フランシスコ・ザビエル』/F結城了悟著『ザビエル』/G尾原悟著『ザビエル』/H吉田小五郎著『ザヴィエル』/I岸野久著『ザビエルと日本』/JP.ミルワード著、松本たま訳『ザビエルが見た日本』/Kルイス・フロイス著、松田毅一訳『完訳フロイス日本史』/Lザビエル渡来450周年記念行事委員会編『「東洋の使徒」ザビエル』/M東武美術館・朝日新聞社編『来日450周年 大ザビエル展 図録』/N『芸術新潮』1999年2月号(特集「ザビエルさん、こんにちは」)/O『カトリック生活』1999年1月号:聖フランシスコ・ザビエル渡来450周年記念特集号/P長崎純心大学博物館編『ザビエルのサンダル』(来日450周年記念)/Q菅井日人『ヨーロッパ新紀行 ザビエルの旅』/R坂東省次・川成洋編『スペインと日本』/S海老沢有道著『日本キリシタン史』
(文責 N.N)