聖歌点描(7)
『洋楽渡来考』について
一昨年「洋楽渡来考」という本が刊行されました。その紹介パンフレット冒頭に、白柳枢機卿様は次のような文を寄せておられます。
<NHKの名曲解説で親しまれている皆川達夫先生のこの大著は、「音楽も人を救える」との信念から始められた先生の研究の集大成であり、キリシタン時代に日本に伝えられ、幾世代にもわたって受け継がれてきた音楽の実態を明らかにされたものです。先生の音楽に対する誠実さ、情熱を肌で感じる名著であり、心から推薦するものです>。
この書は日本キリスト教団出版局が2004年に公刊したものですが、今年7月にはその内容を音と映像で伝える、CD& DVD版が、日本伝統文化振興財団から追加発行されました。
同じ題名で同じような装丁の2種の本があること、値段もかなり高価(「本書」18,900円・「CD&DVD版」12,600円)なことから、購入にとまどいを生じるかもしれません。そこでその内容を、少し私見も交えて、ご説明したいと思います。
先ず「本書」は文字と楽譜のみの「読む本」、「CD&DVD版」はそれを「音と映像で視聴するもの」とご理解ください。両書を併読できればそれにこしたことはありませんが、後者には解説と歌詞、および著者の自伝もついているので、先ずはこれにあたり、興味がわけばより詳細な資料や楽譜が掲載されている「本書」に進まれるのが得策かと思います。
なおこの本は、「本書」の副題に「キリシタン音楽の栄光と挫折」とあるように、聖ザビエルが日本にもたらした聖楽についての論考が主であり、題名から想像される「洋楽」、つまり器楽曲や世俗的声楽曲を含めた「西洋音楽」全般についての書ではありません。あらかじめご留意ください。
全体のテーマと構成は両書共通で、次の3部から成っています。
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第1部: わが国初の活版印刷機を用いて
出版された楽譜付きグレゴリオ聖歌
―――これはカトリック聖歌に関する日本最古の資料で、現在は上智大学と国立国会図書館にしかない「サカラメンタ(秘蹟)提要Manuale ad Sacramenta」に関する研究です。
原書は1605年に長崎のコレジョ(大神学校)が出版した、439ページからなる立派なラテン語の典礼書で、初版1500部と伝えられています。その中に葬儀や司教訪問の際に用いられる19曲のグレゴリオ聖歌が、きれいな2色刷りで載っており、この本はそれを詳細に解析し、再現しています。 原書を印刷した機械は、1590年に「天正遣欧使節団」が持ち帰った、これも日本最古のグーテンベルク式活版印刷機です。これによっていわゆる「天草本(またはキリシタン本)」といわれる「サントスの御作業の抜書き(聖人伝)」「ドチリナキリシタン(カトリック要理)」「平家物語」「イソップ物語」「羅葡日辞書(ラテン語・ポルトガル語・日本語の対訳辞書)」といった貴重な文献が、明治の文明開化期のはるか以前に、出版されていたわけです。
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第2部: 東京国立博物館にある「耶蘇(やそ)教写経」のグレゴリオ聖歌
―――今は「耶蘇教写経」といわれていますが、当館が「帝室博物館」と称していた時代には、列品記載簿に「寛永年間、天草賊滅ビシ時、官没セシモノト云フ」と記されていたようです。
これが事実なら、1637~8年の天草一揆で、幕府軍に包囲された農民たちが、天草の原城内でこれを懐にして戦っていたことになります。縦・横が10x6cm未満の93ページという小冊子は、明らかに携帯の便を考えて作られたものでしょう。内容はラテン語による「聖母への連祷」や晩課・終課のための「詩編歌」「マニフィカト(マリアの讃歌)」「オラショ(oratio=祈り、祈祷文)」等を手書きの変体がなで表記したもので、いわば歌詞だけを記した、わが国初の個人用聖歌集です。その筆跡は達筆ながら随処に欠落があり、いかにも急いでメモした様子がうかがわれ、いたわしさを感じます。
キリシタン殉教史によれば、捕縛(ほばく)されたキリシタンはいたる所で――牢屋でも、処刑場に連行される時も、十字架上でさえも――聖歌を高らかに歌っていた、と記されています。かれ等はおそらく、こうした「写経」で歌詞を伝え、暗誦(あんしょう)し、絶えずその歌を高唱して励ましあっていたのでしょう。本書にはその歌詞に対応する(と考えられる)グレゴリオ聖歌の楽譜が提示され、CD版では女声聖歌隊が、それを美しく再現しています。
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第3部: 今を生きる生月島(長崎県)のキリシタンのオラショと日本語聖歌
―――生月は平戸島の沖にある辺境の島ですが、往時は捕鯨の拠点として栄え、伝道が活発に行なわれ、全島民がキリシタンだったということです。
残酷な迫害と殉教にもめげず信仰を貫いた人々は、キリスト教解禁とともに大部分がカトリック教会に帰属しましたが、一部の人たちは今も教会に戻ら(れ?)ず、約7世代続いた隠れキリシタンの慣習を守り続けています。その数は全島約8,500人の内の約1千人(2001年現在)ということです。
こうした隠れキリシタンの実態が明らかになったのはごく近年、1928(昭和3)年以降のことで、田北耕也(元・南山大学教授/1910-94)先生がその先駆者です。氏は長年月をかけてこれらの人たちと交わり、その信仰生活に触れ、初めて実際に歌い唱えられていたオラショの録音に成功されました。そして1978年には、島の有志が国立小劇場で実演を公開するほど、その存在はあらわになりました。しかし、その旋律はお経やご詠歌のようであり、歌詞は呪文のようなもので、誰が聞いてもそれがキリスト教の聖歌だとは思えないほど変化していたのです。
例えば、かれ等は聖母讃歌の「O gloriosa Domina, Excelsa super sidera, Qui te creavit,
provide・・・(おお輝く元后、至高の星、おん身は造り主を、み旨により・・・)」を「うぐるりよーざ どーみの ゆきしょしょーしーでら しーでら きてくろ やんめ
ほろびで・・・」と唱えています。
これはごく簡単な例ですが、長文の「マニフィカト」や「詩編」になると大変です。何が何やらさっぱり分かりません。しかし歌詞ならば、今でも通用しているラテン語の典礼書や祈祷文を参照し、何とかその原歌詞にたどり着くことができるでしょう。が、旋律の原曲を特定するのは大変です。聖ザビエルの時代に世界共通の聖歌集はなく、生月に残る楽譜もありません。ひたすら今のオラショから微妙な音の高低やリズムの変化を聞きとり、楽譜化し、それを無数の昔のグレゴリオ聖歌集から探し出すしかありません。それは満天の星々の中から、たった一つの星を見出すような作業だったでしょう。そのため皆川先生は、1975年以来スペイン、ポルトガルを始めヨーロッパ各地の図書館や古文書館を経巡(へめぐ)り、ついに生月島伝承の歌オラショの原曲と思われる曲を突きとめられたのです。驚くべき情熱という他ありません。
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若き日の皆川先生は、ある男子高校で音楽の講師をしておられました。もう50年も前の話ですが、その学校には 1学年に900人もの生徒がいたのに、先生の授業を選択したのは僅か3~4人でした。
「先生の話はつまらない」という評判がたっていたからです。当時はベートーヴェン全盛で、 バッハすらほとんど知られていなかった時代です。グレゴリオ聖歌や中世の教会音楽に集中する
先生の講義が、青春を謳歌する高校生に人気がなかったのも当然かもしれません。
しかし授業の実際は噂と違い、とても楽しいものでした。少人数だったことが幸いし、学校出たての先生は兄貴のような親しさでふるまい、机に腰掛け、最新のLPレコードを駆使してグレゴリオ聖歌を耳になじませ、それが西洋音楽に及ぼした影響の深さと広がりを教えてくださったのです。
「音楽も人を救える」との先生の信念は、この頃から既に燃えあがっていたのかもしれません。顔を紅潮させて熱く語る先生の風貌(ふうぼう)は、今にして思えば、グレゴリオ聖歌の宣教師のようでした。真の「情熱」とはそのようなものでしょう。
――人気、不人気など気にしない。損か得かも気にしない。ひたすら信念の正しさを検証するために働き、その真価を確かめ、結果を伝えつつ生きる――この著作はその結晶のように思えます。
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とはいえ、これで全てが終わったとは思えません。先生はむしろこの本によって、より大きな問題を提起されたと考えます。それは、聖ザビエルがもたらしたキリスト教文化、なかんずくカトリック聖歌を、現代に生きる私たちがどう受けとめ、どう活(い)かしていくかという問題です。
―――第3部に、今も生月島の一部で歌われている特殊なオラショが収載、収録されています。「さん・じゅあん様」と「だんじく様」という歌です。歌詞は異なるものの旋律は同じです。何れも純然たる日本語の詩による歌詞で、ラテン語でも翻訳文でもありません。いわば、わが国初の創作讃美歌といえるものです。旋律は民謡風ですが、日本の伝統音楽にはない5度の音程下降や3拍子系のリズムがあり、グレゴリオ聖歌以外の西洋音楽の影響が明らかです。ことによると禁教以前に、長崎の教会でよく演じられた「ミステリヨ(神秘)劇」のラウダ(後にオラトリオに発展する民族的宗教歌曲)に類する旋律だったかもしれません。
「さん・じゅあん様」は、イタリア人宣教師をかくまったため、1622〜3年に生月島近くの無人島・中江ノ島で処刑された、島民ジュアン(ヨハネ)等38名の殉教者を悼(いた)む曲。「だんじく様」は迫害を逃れ、海岸の崖下の暖(だん)竹(ちく)の茂みに隠れていたキリシタンの親子が発見され、役人に家族全員が殺された故事を悼むもの、と伝えられています。
従って、その調べに腸(はらわた)をえぐるような哀切の情がこもるのは当然です。しかし生月の、日本の情景を美しく織(お)りこんだ歌詞を味読し、その歌の調べを聴きこんでいくと、そこにはむしろ信仰を鼓舞する明るい響きが聞こえてきます。
受難と死の先にある希望、殉教の死を見守る聖母の愛、そして神の救いに絶対的信頼をよせる、先祖伝来の確固とした信仰の世界が見えてきます・・・・・。
けれども現実は、捕鯨の衰退にともない島の過疎化と老齢化が進み、これら「世界遺産」の一つともいうべき歌は、海の藻屑(もくず)となりつつあります。それは同時に、ザビエル聖人や多くの殉教者、宣教師やキリシタンたちが守り伝えた信仰や音楽との断絶を意味します。
キリシタンの血をつぐ日本人として、また、著者の謦咳(けいがい)に接した音楽を愛する一信徒として、<このままでいいのか>という思いにかられながら、この本を読みました。
(文責 K.O.)
