聖歌点描(8)
カトリック聖歌集288番
「うるわしき 主のみこころ」
この曲は「カトリック聖歌集」ばかりでなく、 昔から教派を問わず世界中の教会で愛唱されてきた、有名なキリスト讃歌です。
その原曲は既に1677年発行の“Münsterisch Gesangbuch(ミュンスター讃美歌集)”にあり、それが 今でも“Gottes
Lob(神の讃美/1996年)”という、何れもミュンスター司教区発行の歌集で、よく歌われているということです。
ところが、今私たちが歌っている「カトリック聖歌集(288番)」は、その原曲とかなり違うのです。不思議に思って調べてみると、いろいろな面白いことが分かりました・・・・・
先ずは原詞の意味をおさえておきましょう。全5節、おおむね次の通りです(版により語句に若干の異同があります)。
①いとうるわしき主イエス すべての主の主
神とマリアのみ子 我汝を愛し 汝を拝す
汝 わが魂の喜びにして冠
②天地の美しきもの 全ては汝のみ手にありわが常
に愛すべきもの他になし
汝 わが最愛のイエスのみ
③月も陽も星も すべてうるわし
イエスは さらに明るく よりさやか
天使の群れにもまして
④花も人も 若いときにはうるわしい
されど皆やがて死に 絶えゆくもの
イエスのみ 永遠にいましたもう
⑤いとうるわしき主イエス 我らと共にあり
みことばと秘蹟により イエスよ 主よ
今も終わりの時も 我らを慈しみたまえ
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これをお手許の「カトリック聖歌集(288番)」、あるいは昔の「公教聖歌集(283番)」の歌詞と見比べてみてください。
「おや?」と思われるでしょう。公教聖歌集には<カルメルの森の小鳥>や<ヘルモンの露>、カトリック聖歌集には<かおりたかし白百合の花>とか<すくいの水 ながれ流れる>といったことばが使われています。
ことのついでに今、日本で最も出版部数の多い「讃美歌21(482番/日本基督教団出版局/1997年)」を参照すると、次のように記されています。
①わが主イェス いとうるわし。
あめつち造りし 神のみ子、
人の子を なににかはたとえん。
②春の朝 露ににおう 花より美し。
秋の夜 空に澄む
月よりさやけし。
③夏のゆう 青葉わたる 風よりかぐわし、
冬の日に ふりつもる
雪よりきよけし。
④わが主イェス いとうるわし。
あめつちの主こそ わが光 わが冠、
わがよろこびなれ
これはこれで日本人特有の季節感を織りこんだ美しい詩節と思います。が、元の全5節が4節になるなど、「カトリック聖歌」と同様、原詞のニュアンスとは程遠いものになっています。なぜこれほど大きな違いがでたのでしょうか。
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実は、原曲と現行聖歌・讃美歌との間に、もう一つ別の同工異曲があったのです。 短調の、素朴な味わいのある原曲は、ライン川下流の美しい北ドイツ・ミュンスター地方で歌われていた民謡に、あるイエズス会士が先の詩をつけて歌いだしたもの、という伝承があります。
ところが19世紀中葉、言語学者・詩人・讃美歌学の先駆者で、ドイツ国歌の作詞者として知られるH. A. Hoffmann von Fallersleben(1798-1874/以下単にホフマンと記す)という人が、民謡収集のため南ドイツ・シュレージエン地方を旅し、ハンガリーに近いグラーツ(現オーストリア領)で、同じ詞による異曲が歌われていることを発見したのです。
つまり原曲は約200年の時をかけ、ドイツ各地に広まるうちに、長調のメロディーをもつ別の民謡でも歌われるようになっていたのです。そのことに興味を抱いたホフマンは、その曲を“Schlesische
Volkslieder(シュレージエン地方の民謡集/1842年)”で発表しました。
その際ホフマンは原詞の5節を割愛し、そこに2節を移し、2節には次のような自作詩を挿入しました(版により、語句に若干の異同があります)。
②′春の野は美しく 森はより美しい
イエスはより美しく さらに清らか
わが心の悲しみを 喜びにかえしむ
おそらくこの改訂と、「春」という季語に刺激され、各国・各教派がさまざまな新しい歌詞を生みだす端緒になったものと思います。
筆者の知る限り、日本だけでも、先にあげた「讃美歌21」の他、5種の別歌詞が存在します。しかし、その種本はいずれもホフマンの「シュレージエン地方の民謡集」になっており、最初に記した「ミュンスター讃美歌集」にある原詞は、ドイツ語圏以外の国では、ほとんど使われていないようです。
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では、なぜ後で発見されたホフマンの曲がそれほど有名になったのか。これはあくまでも推測ですが、ロマン派音楽の巨匠・フランツ・リスト(1811-86)の影響が大きいように思います。
ホフマンと親交のあったリストが、新発見された長調の聖歌を用いて「聖エリザベトの伝説(Die Legende von der heiligen
Elizabeth)」というオラトリオを作曲したのです。
リストといえば、日本ではピアノ曲以外あまり知られていませんが、少年期の愛読書が「キリストにならいて」と「黄金伝説(聖人伝)」であったというほどの、根っからのカトリック教徒であり、フランシスコ会の第3会に入会(1865年)した信仰者です。教会音楽も数多く作曲・演奏しています。しかも、その音楽的影響力は甚大でした。幼少時から優れたピアニストとして全欧で人気を博し、モーツァルトの再来といわれ、ベートーヴェンすら讃辞を惜しまず、最盛期には楽壇に君臨して神のごとくに崇められた人物です。アメリカ、ロシア、東欧を含むヨーロッパ各地からの出演依頼はひきもきらず、その演奏会は常に絶大な人気を博していました。
従って、1865年にブダペストで初演されたオラトリオ「聖エリザベトの伝説」に用いられた長調の聖歌が、国際的に普及するのは時間の問題でした。それは、当時のプロテスタント英語讃美歌集につけられた「St.
Elizabeth(聖エリザベト)」や「Crusader’s Hymn(十字軍の讃美歌)」という、その曲の題名(Tune name)からも明らかです。
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「十字軍」との関係は、「聖エリザベト(1207-31/祝日11月19日)の伝説」そのものに出てきます。
―――――エリザベトはハンガリーの王女で、14歳の時ドイツ・テューリンゲン地方伯・ルードヴィヒ4世と幸せな結婚しました。しかし、夫君が第6回「十字軍」に参加し、イタリアで病死すると、居城であったヴァルトブルク城を追われ、子等と共に極貧の生活を強いられます。その後いったん身分が改善され、一定の財産も付与されましたが、エリザベトはそれ等すべてを慈善事業に寄付し、自らは清貧にあまんじ、祈りと奉仕の生活に徹しました。
ドイツにおける最初の聖フランシスコ(1181/82~1226)の信奉者といわれ、創設早々のフランシスコ会第3会に入って厳しい修道生活を送り、「フランシスコ施療院」を建て、そこで貧しい人と病者に献身して短い生涯を終えました。1235年にグレゴリウス9世教皇によって列聖され時、遺体は生前フランシスコから贈られたマントに包まれていた、ということです。
――――― これでハンガリーに生まれ育ったリストが、聖エリザベトに特別の敬慕の念を寄せ、その生涯にならってフランシスコ会に入り、ほぼ同時期にその完徳をたたえる美しいオラトリオを作曲し、特に晩年は、深い祈りと慈善の生活に身を捧げた動機がハッキリしてきます。
と同時に、そのことによってリストの名声はいや増し、かれが採用した長調の曲が、広く世に受け入れられた事情も分かるように思えます。ちなみに、リストに共感した後期ロマン派の楽匠マックス・レーガー(1873-1916)も、この曲に寄せ、情感豊かな美しい混声5部用のコラール編曲を遺しています。
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というわけで、今の「カトリック聖歌288番」のメロディーが普及したわけですが、教派によってまちまちな日本語歌詞と、忘れられた短調の美しい原曲のことが気になるところです。
本場のドイツ語圏では、ほとんどの讃美歌集に短調・長調の両曲が併記され、その二つともがエキュメニカル(超教派)讃美歌として、共通の歌詞で歌われています。
日本では共同訳聖書の刊行により、カトリック・プロテスタントの協調が進んでいますが、聖歌・讃美歌の領域でもこうした動きが活発になり、一日も早くすべてのキリスト者が思いと声を一つにして、このうるわしい聖歌を歌うことができれば、と願っています。
(文責 K.O.)