聖書研究




稲川神父様のお話

  C年 年間第三辛目 ルカ1:1〜4,4:14〜21(1月25日の福音朗読)


献呈の言葉
1−2:わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた
  人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を
  着けています。
 3:そこで、敬愛するテオフイロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べています
  ので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。
 4:お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであり
  ます。
◆ガリラヤで伝道を始める
14:イエスは“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周り の地方一帯に
  広まった。
15:イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた。
16:イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を
  朗読しようとしてお立ちになった。
17:預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に
  留まった。
18:「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたし
  に油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、
  日の見えない人に視力の回後を告げ、圧迫されている人を自由にし、
19:主の恵みの年を告げるためである。」
20:イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目が
  イエスに注がれていた。
21:そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と
  話し始められた。    



 [福音の研究]

 年間第三主日はA・B・C年ともにイエスの宣教の開始についての記事が朗読されます。
付録の三福音書を一読してみますとわかる通り、A年マタイとB年マルコの記事には並行性
があり、C年のルカ福音書だけが少し違っています。しかし、A〜C年とも内容的には共通
のポイントがあります。それは@イエスの述べる福音とは何か? Aイエスとともに福音を
宣べ伝える人々(弟子である共同体)という要素です。C年のルカの記事を中心にこれを考
えてみましょう。




1. 第一の部分
ルカ1:1〜4 テオフイロへの献呈のことば
ルカ福音書
 @1:1〜4 テオフイロへの献呈のことば
 A3:21 洗礼を受けて祈っているイエス
 B3:22 祈りの後、聖霊が鳩のような姿でイエスのもとに降ってくる。
 C4:16〜30 イエスの宣教の開始

使徒行録
 @1:1〜5 テオフイロへの献呈のことば
 A1:14  聖霊による洗礼を待ち望んで祈る弟子たち
 B2:1〜13聖霊が火のような姿で弟子たちのもとに降ってくる。
 C2:14〜40 教会の宣教の開始

 ルカ福音書を読む時に留意して欲しいことは、使徒行録との関連性です。ルカはイエスの
福音と初代教会の動向に相補的な関係を絶えず指摘しています。教会はイエスなしに存在せず、イエスは教会を通して今もこの世に働きかけているという考え方なのです。

1)1:1「私たちの間で実現したあの出来事」           、
   とはルカ24:18 エルサレムでの十字架と後活
        24:25〜27 メシアの受難と栄光「必ずこのような苦しみを受けて後
                その栄光に入るはずではなかったか」
        24:44 復活して弟子たちに現れたイエスのことば
           「私がまだあなたたちと一緒にいた頃、話した通り、私についてモーゼの
            律法と預言書と詩篇とに書き記されたことは必ずことごとく成し遂げられる」

  ⇒キリスト教の福音は、救いについての理論や学問、知識ではなく、イエスにおいて
   実際におこった出来事を内容にしているのです。すなわち「キリスト教は人生につ
   いて何を教えてくれるか?」と問うことはむなしいのです。むしろ「キリストの十
   字架と復活という出来事は私の人生にどんな意味があるのか?」を問わなければな
    らないのです。

 2)1:2「みことばに仕える者となった人々が私たちに伝えた」
      みことばに仕える人々:使徒行録6:1〜7 7人の奉仕者の選び
   6:2「私たちが神のみことばをさしおいて、食卓に仕えるのは好ましいことではありません」
   6:4「私たちはもっぱら祈りと宣教に励みましょう」




 3)1:4「テオフイロ様、これによってすでに教えられたことが確実なものであること
      を、よく分かっていただきたいのです」


     テオフイロ :θεσφιλε  「テオ=神」・「フイレオー=愛する」

  ⇒ルカ福音書はイエスのことばとわざ=出来事について正確な意味を書き記そうと
    したものであり、あらゆる時代の「神を愛する人=テオフイロ」のために著された
    ものなのです。


2,第二の部分                     

4:14〜21 ガリラヤでの宣教の開始
 ルカはイエスの宣教の開始の舞台を郷里であるナザレトにします。
これはルカの特長です。
マルコ福音書ではイエスのナザレト訪問はガリラヤ宣教の末期の出来事として記されています。ルカの宣教についての考え方が、ここにも現れているのです。すなわち、宣教は身近なところから出発すべきことであるという隠れた主張があるのです。  


   l) 4:14「聖霊の力を受けてガリラヤに帰られた」  
    イエスの宣教は何故ガリラヤから始まったのでしょうか?
    マタイ4:15〜16によれば「異邦人のガリラヤ」と呼ばれており、ガリラヤは
    ユダヤ人と異邦人の混在する地方であり、いわば全世界のシンボルとも言える地で
    ありました。イエスの宣べ伝える福音はユダヤ人に限られるものではなく、万民を
    対象としたものであることを暗示しているのです。


    2) 4:16「ナザレトに行き、安息日に会堂にお入りになった」
    安息日はユダヤ人の心が、神へ向かう日であり、会堂は人々が等しく神へ向かおう
     とする場です。


    3) 4:18〜19 一 イザヤ61:1〜2
    イエスの使命を解き明かす聖書の預言 c f.マタイ11:5〜6
 
イエスは  主の霊がともにあるお方
       神によって油を注がれたお方
       神によって派遣されたお方
           ↓
       貧しい人によい知らせを告げるお方
           ↓
       とらわれている人にゆるし→罪に縛られている人
       盲人に見える光(生命のシンボル)→死におびやかされている人




      圧迫されている人に自由→悪によっておしつぶされている人
           ↓
      主の恵みの年を告げ知らせる→解放の年


   4) 4:21「あなたがたが聞いたこの聖書のことばは今日、実現している」
    詩篇95:7「今日、み声を聞いたならば、荒れ野にいた時のように心をとじては
           ならない」                       ・
   「今日」ということばは、聖書において救済史的意味を持つことがあります。即ち、
   過去において偉大な救いのみわざをなさった同じ神は、「今日」なるお方として、
   「今日」を生きている人々の前に新たに現れるのです。福音は過去のものではなく、
   絶えず、「今日」に新たな意味を響かせるものなのです。




[わかちあい・祈りのヒント]

1.ルカが「私たちの間で実現した出来事」と言っているのはどんなことで

  しょうか?

2.「みことばに仕える人」とはどのような人々でしょうか?今日において

 私たちはどのようにみことばに仕えることができるでしょうか?

3.私たちが、各自のナザレトで始めなければならないことはなんでしょうか?

4.イエスは私にどのような光、解放、自由、歓びを与えてくれたでしょうか?