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復活節第五主日 B年 ヨハネ十五章一〜八節 (5月14日の朗読箇所)
1:「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
2:わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。
しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。
3:わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。
4:わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝
が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、
あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。
5:わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、
わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、
あなたがたは何もできないからである。
6:わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。
そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。
7:あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつも
あるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。
8:あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、
わたしの父は栄光をお受けになる。
[ 福音の研究]
復活祭後の主日ではヨハネ福音書の重要な箇所が朗読されます。B年に当たる今年は
第4主日ではヨハネ10章のよき牧者のたとえ、そして第5主日ではヨハネ15章の
ぶどうの木のたとえ、第六主日では同じ15章の続きとして愛の掟についての教えが
朗読箇所として選ばれています。この三つの箇所はとても大切なメッセージをもった
箇所です。
1. ヨハネ福音書のたとえの特長
四福音書の中には数多くのたとえ話が登場します。共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ)
におけるたとえ話のテーマは、神の国に関するもの、イエスの教えとキリスト者の生き方
に関するものが多いのですが、ヨハネ福音書に記されるたとえは、「よき牧者と羊」、
「ぶどうの木と枝」というようにイエスと私たちの生命的な絆をテーマにしたものである
ことが特長です。
2.旧約聖書におけるぶどうの木のたとえ
ホセア9:10 荒野でぶどうを見出すようにイスラエルを見出した。
詩 80:9 あなたはぶどうの木をエジプトから移し、
イザヤ5:1〜7 よい実を結ばないイスラエル⇒ イザヤ27:2〜11
エレミヤ2:21 悪い野ぶどうに変わり果てたイスラエル
特にエゼキエル15:1〜6はイスラエルがぶどうの木にたとえられる理由を
解き明かす鍵となる箇所です。
ぶどうの園 ⇒ 約束の地
ぶどうの木 ⇒ イスラエル
森の木 ⇒ 他の国、王朝、国民
ぶどうの実 ⇒ イスラエルの信仰
↓ ↓
酒となって人々を喜ばせる 救い、祝福を万民に与える祭司の国
↓ ↓
祝 祭 喜びの祭儀
_______________」
↓
ヨハネ福音書 カナの婚礼 2:1〜11
十字架上の血と水 19:34
参照箇所:Tヨハネの手紙5:6〜12
↓
新しい契約の血
マタイ26:27〜28、出エジプト24:4〜8
マルコ14:22〜25、エレミヤ31:31〜34
ルカ22:15〜20
Tコリ11:23〜25
3.ヨハネ15:1〜8のぶどうの木のたとえ
ぶどうの木のたとえは、上記のように旧約聖書において常に神とイスラエルの関係、
使命を語るものでした。ヨハネはこの伝統的なたとえに新約の息吹きを注ぎ、御父と
イエス、そしてイエスを信じる人々の関係を語ります。
この箇所のキーワードは「とどまる」(ネメイン)です。
@旧約聖書(LXX)において「とどまる」は90回使用されています。
使用例:ユディト11:17 ある場所に住む、ある人の側にいる。
Tマカバイ15:7 あるものを所有する。
13:11不動なものとして住む。
知恵の書 7:27 神の英知で信仰が続く
ダニエル 6:27 神の永遠性を示すことばとして
A新約聖書において「とどまる」は118回の使用例があります。
共観福音書 12回 普通の意味で使われることが多い。
ヨハネ福音書 40回 うち11回がこの15章で集中的に使用。
ヨハネT〜V 27回
黙示録 1回
このような使用頻度を調べてみると「とどまる」はヨハネ独特な用語と呼んで差し
支えないと思います。ヨハネの場合、「とどまる」はイエスと弟子たちの親しい一致、
いのちの交流、英知と生命の共有を示すことばなのです。
「とどまる」と「結ぶ」
2節 実を結ばないものは取り除かれる。
実を結ぶために刈り込まれる。 試練を暗示、しかしそれは恵み(世話)
4節 とどまらない ⇒ 実を結ばない
とどまる ⇒ 実を結ぶ
8節 実を結ぶ ⇒ 父の栄光となる。
Bヨハネ15:1〜8を御父とイエス、イエスと弟子たちの関係から図式にしてみます。
| 1〜4節 |
5〜7節 |
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1節 私はぶどうの木、父は農夫
栽培者(父と子の関係)
2節 私の枝で実を結ばないもの
は刈り取られる。
実を結ぶものは刈り込まれる。
3節 私の語ったことばですでに刈り
こまれている。
4節 枝はぶどうの木につながって
いなければ実を結ばない。
あなたがたも私にとどまらな
ければ実を結ばない。
4a節私のうちにとどまりなさい。
私もあなたたちのうちにとどまる。
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5節 私はぶどうの木、あなたたちは
その枝(イエスと弟子の関係)
5b〜6節 人が私にとどまり、私がその
人にとどまる ⇒実を結ぶ
私を離れては何もできない
枝のように捨てられ、焼か
れる ⇒実を結ばない
7節 あなたがたが私にとどまり、私の
ことばがあなたがたのうちにとどま
っているなら、何でも願いなさい。 |
[___________________]
↓
8節 あなたがたが多くの実を結び ⇒ 喜びをもたらし
弟子であることをあらわす ⇒ 万民が救いに招かれる
父が栄光を受ける⇒ 万民が父をたたえる。 |
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このようにヨハネにおけるぶどうの木のたとえは、御父と御子の愛と生命の絆を語ると
同時にイエスと弟子たち(キリストを信じる人々)の愛と生命の絆を語り、御父と御子の
相互内在の神秘に私たちが招かれていることを解き明かしてくれるのです。
それでは、この同じ個所をもう一度、構造的に、立体的に並べ替え、このメッセージを解析
してみましょう。
┌──A 私の父は農夫である(1b節)
│
│
│ ┌──B 私にとどまりなさい。私もあなたがたのうちにとどまる(4a節)
│ │
│ │
│ │ ┌──C 私の枝で実を結ばないものは、みな父がそれを取り除き、実を結ぶものは、
│ │ │ みなもっと実を結ぶように刈り込んで下さる。あなたがたは私が語った
│ │ │ ことばによってもうきれいになっている(2〜3節)
│ │ │
│ │ │ ┌──D 枝がぶどうの木にとどまっていないならば、枝だけでは実を結ぶことは
│ │ │ │ できない。同じようにあなたがたも私にとどまっていなければ実を
│ │ │ │ 結ぶこときない(4b、c節)
│ │ │ │
私はまことのぶどうの木 ──────→ 私はぶどうの木、あなたがたは枝である
(1a節) (5a節)
│ │ │ │
│ │ │ │
│ │ │ │
│ │ │ └──D'人が私にとどまり、私もその人のうちにとどまっているなら実を結ぶ。
│ │ │ 私を離れてはあなたがたは何もすることができないのである
│ │ │ (5b、c節)
│ │ │
│ │ └──C’私にとどまっていない者があれば、枝のように投げ捨てられて枯れる。
│ │ そして、かき集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう(6節)
│ │
│ └──B’あなたがたが私にとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、
│ 望むことは何でも願いなさい(7節)
│
└──A’あなたがたが多くの実を結び、私の弟子であることをあらわすことによって、
私の父は栄光をお受けになるのである。
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こうしてヨハネのぶどうの木のたとえを読んでみますと、ヨハネにとっての信仰とは、
イエスとのパーソナルな親しさをいかに保つかという点に集約されてきます。イエスに
もっとも愛された弟子ヨハネらしい記述であると思います。
[わかちあい・祈りのヒント]
1.「父は実を結ぶ枝を刈り込んでくださる」とイエスは言われ
ましたが「刈り込まれる」とはどのようなことでしょうか?
2.木につながっている枝とは、キリストと私たちの間では具体的
にどのようにつながっているのでしょうか?
3.キリストとのつながりをどのような時に感じますか?
4.キリストとのつながりを豊かにするために今あなたがしている
ことは、どんなことですか?
5.私たちは日々の生活の中で、どのような実を結んでいるでし
ょうか?
6.「とどまっているならば、何でも願いなさい」とイエスは言って
下さいましたが、あなたは何を願いますか?
7.あなたとキリストの関係は、ぶどうの木のほかにどのように
表現できますか?
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